蔭木達也のウェブサイト
過去のつぶやき(2015〜2024)
- 2024年12月18日
- 新宿駅の西口のトイレは山手線の乗り場からもっとも離れた山手貨物線の下にある。中央西口から入って、乗るつもりの山手線のホームに上がる階段を通り過ぎて、中央線のホームを通り過ぎてトイレにたどり着き、用を足してトイレを出ると、また山手線のホームまで戻るのが億劫な気持ちになる。そこで目の前の階段を上がると、中央快速線の東京行きが来る。よしこれで、今日はお茶の水から神保町へおりて神田ぶらじるでコーヒーでも飲みながら仕事をするかと腹を決めて、乗り込む。10分ほどで御茶ノ水に着き、工事中の御茶ノ水改札を出る。そこでちょっと魔が差す。そろそろクリスマスだ、クリスマスの気分を高めるにはやはりクリスマスらしい音楽が必要だ、クリスマスらしい音楽を聴くにはその媒体がないといけない、ではクリスマス音楽のレコードでも買おうか……まったく論理の飛躍であって、しかし気づけば狭苦しいディスクユニオンの店内にいるのである。ずいぶん久しぶりに来た。クリスマスの音楽で、子供たちも楽しめるようなものと思っていろいろ思案し、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』のレコードを探すことにする。案外レコードの量が少なく、すぐに見つかる。そこに一枚、面白い盤がある。ムラビンスキーの「くるみ割り人形」、ソ連盤と書いてある。僕は音楽にもソ連にもレコード盤にも詳しくないが、ソ連の工業製品が家に一つもないことはわかる。ソ連の工業製品が家にあるというだけで、なにか労働に前向きに取り組めそうだ。そこでこれを買うことにする(ほかにフォーレのレクイエムとかも買った、クリスマスっぽいかなと思って)。家に帰ってターンテーブルに載せてみる。盤は固く、しっかりしており重さがある。盤の表記をGoogle翻訳してみると、"МОСОБЛСОВНАРХОЗ РСФСР АПРЕЛЕВСКИЙ ЗАВОД ГРАМПЛАСТИНОК"とあるのは、「ソヴィエトロシア・モスクワ地区ソフナルホーズ(国民経済会議)・アプレレフカ工場製レコード盤」という意味らしい。工場についてはロシア語と英語のWikipediaページがあった。作曲者の"П. ЧАЙКОВСКИЙ"(チャイコフスキー)、指揮者の"Е. МРАВИНСКИЙ"(ムラヴィンスキー)の名も見える。録音は1946年とある(これは数字なのでわかる)。あとはわからないのでとにかく聴いてみる。ややノイズが多い(ネット情報曰く、この時期の盤の特性らしい)ことを除けば、全く申し分ない音質だ。曲目としては、くるみ割り人形はB面の一曲目に「花のワルツ」が入っているだけで、他の曲は序曲すら入っておらず、あとはチャイコフスキーの色々な曲が入っている。クリスマスっぽくはないが、しかしムラヴィンスキーのチャイコフスキー、これは正しくチャイコフスキーという感じで、優雅かつ重厚、正確で調和の取れた演奏。曲は違ったが、聴きたかったチャイコフスキーを聴かせてもらったという気分だ。46年の演奏というのが本当だとすると、日本は敗戦して戦後混乱期、シベリアでは抑留された日本人たちが働いていた46年に、モスクワではこんなに素晴らしい演奏が行なわれ、録音され、レコードにされていた(レコードになったのは50年代だろう)とは。ところで、クリスマスのために「くるみ割り人形」のレコードを改めて買ってこなくてはならないな。参った参った。
- 2024年12月9日
- ここ3ヵ月ほど、つまらないつぶやきを繰り返してこの欄を汚していたが、ぼちぼちもとの気の抜けた調子のつぶやきに戻そうと思う。つまらないつぶやきとは、日常に根ざしていないつぶやきである。面白いつぶやきは、日常のふとした気付きを敷衍していくことで、そこから見たことのない光を垣間見る、そういうつぶやきなのだ。大上段に構えて空理空論を振りかざすのは誰でもできる。しかし、いま僕が見て触れているこの世界は、僕だけのものだ。蛍光灯に照らされている両腕を広げれば左右の壁に届きそうなほど狭いこの部屋、手汗と水仕事で皮が剥がれて指紋認証できない手の指、雑多な書類がしかしぎゅうぎゅうに詰め込まれているのでしっかり直角に立って並んでいる本棚。このように、単に目に入ったものを叙述するだけで、なにかそれっぽい雰囲気を醸し出すことができる。しかし、僕は今ここで特になにか意図を持ってそれを列記したわけではない。そもそも、この世の中に敢えて言葉にして表現すべきものなど、どれほどあるというのだろう? このように、自分の心情の動きも適当に叙述して、さらにシニカルなツッコミを加えてやれば、村上春樹的な文章の完成だ。やれやれ。「言葉にできない」と歌った小田和正のほうがよっぽど言葉に対して誠実であるが、そこを難なく言葉にほどいておどけてみせる谷川俊太郎にはかなわない。詩人や歌人はすごいんだなぁ。
- 2024年11月27日
- 最近、ほとほと困っていることがある。Google検索の検索結果で、冒頭にAIの作文が表示されることだ。僕は仕事柄、歴史に関する事柄について調べることが多いが、大抵は年号か人名か地名が間違っている。残念ながら、GoogleのAIが一回として、正しい情報を示してくれたことはない。その真下に表示されているWikipediaの年号と食い違っているのだから、一体どんな情報を吸収しているのだかわからない。しかもそのWikipediaの記載も厳密ではないのだから、救いようがない。ただ、検索して、間違った情報へのリンクが表示されるならそれは仕方ない。そのリンクをクリックしなければいいだけの話で、それは詐欺サイトと同じだ。しかし今回は、検索した瞬間にその間違った情報が文章でばっと表示されてしまう。当然、その情報がダイレクトに目に入ってきてしまう。すると、こちらは知っている正しい情報とGoogleの表示する嘘の情報とで混乱する。検索する際に混乱するだけならまだしも、講義で話しているあいだに、思い出そうとして混乱するから困る。これに対抗するには、Googleアカウントからログアウトする、あるいはそもそもGoogleを使わない、という手段を用いる必要がある。数年前にデータ管理とメールは一部Microsoftに移行したが、その際に利用したBingの検索はあまりにも機能が悪く、関係ないサイトや同じサイトを反復して表示し、求める情報にたどり着けないことがしばしばで、移行しようとして断念した経緯がある(今はもう少しましなのだろうか?)。Yahooは他サービスの品質が悪いので検索だけそれを利用する気にならず、結局Googleを使い続けている。
- これまでなら、正しい情報を掲載したサイトにアクセスする能力がない人や、その方法を知らない人など、学習能力が低い人は、正しい情報にアクセスできずに無知のままだった。しかしこうなると、学習能力が低い人が、検索した瞬間に誤った情報で洗脳されることになる。たとえば学生なら、Googleを使っているだけで、レポートや試験で間違って単位が取れないとか、そういうことが容易に起きてくる。これまでは、ChatGPTを使う時に辞書などでダブルチェックしてください、といえばよかったのが、もはや、インターネットで検索した情報はかならずダブルチェックしてくださいと言わねばならない。じつはこの問題は、Googleだけではない。CiNiiですら、僕はもう学生には勧めにくいと感じている。査読を経た論文だけではなく、研究者の論文数稼ぎのためだけの内容が怪しい紀要論文(これは研究者の倫理の問題だ)はおろか、まったく学術的なプロセスを経ていない商業誌も検索に引っかかってくる。CiNiiで検索したものを参考文献にしてください、だけではもう学術的な文献に基づいたものを期待できない。最低限、辞書を使って欲しいと思ってJapanKnowledgeへのアクセスを薦めようと思えば、大学外からのアクセスが制限されていたり、そもそも契約していない大学もある。学生が個人で契約するには高額だ。
- こうなってくると、指導する側としては、インターネットは使わないで図書館の本と辞書だけで論文を作ってください、というような指導をせざるを得なくなるだろう。また、雑誌については、この研究分野ならこの雑誌とあの雑誌、あの研究分野ならその雑誌、というように、細かく指定することになる。しかし考えてみれば、これは昔の大学教育はそうだったのではないだろうか。昔は、教員が自分の出した本を学生に買わせることが多かった。学生がレポートを書く時には——特に一回も授業に出ていない場合なんかは——まず「教授の書いた本」を読んだものだ。そこから論点を広げていく時には、教員の本で引用されている本や論文を読んだり、その教員の本を批判しているものを読む、あるいはその本が陳列してある棚の両サイドの本を持ってくる、授業で触れた本を持ってくる、というやり方をしていた。今40代以上の人が大学生の頃までは、そうだったんじゃないだろうか。端的に言えば、インターネットは、少なくとも人文系の学部生の勉学に使うにはまだ「早い」のだ。タダより高いものはない、とはよくいったものである。無料のインターネット検索に依拠したせいで、大学教育の質が落ちるとしたら馬鹿馬鹿しい話だ。学生の払った施設利用料や国民の税金で運営されている図書館、私費で買わされる教科書や参考書、そういうもので学ぶ訓練を、学部生のうちはみっちりやった方がいいかもしれない。最初は面倒でも「うそはうそであると見抜ける」能力が身につけば、その後の人生はいくらかましになるだろう。
- 教育機会の均等、貧乏な学生の懐事情を慮って、僕はこれまでの授業、かならず自分でレジュメを作って、本については参考書扱いにとどめていた。教科書指定にすると、原則購入しなければならないからだ。だが、多少の不平等、負担には目をつぶっても、やはり本を買わせることが必要だと、僕は考えを改めつつある。自分の本を買わせるのではなく、その道でもっとも有用な専門書、教科書をである。一人でも多くの人が、これまでの長い年月をかけて対話と議論によって確かめられてきた確からしいことを、わかりやすく書いた本に触れ、そうした見地から世界を見渡すことができるようになることがまず大切だ。僕はChatGPTの利用を推奨し、NDLなどネット上のリソースを駆使する学習方法など、新しい「ラーニング」の方法を学生に伝授することには積極的だが、それをすればするほど、古典的な学習方法の意義を痛感するこのごろである。
- 2024年11月7日
- 半月足らずの間に、日本の衆院選、アメリカの大統領選と選挙が続いた。それで多少、僕のところにも分析や感想めいたものが寄せられた。僕はあまり現在の政治に明るくなく、またもっぱら歴史との類比で考えてしまうので頓珍漢な見立てばかりするのだが、それでも現下の状況に対する自分の考えを整理して示す訓練も重要であろうし、またそれで他人への説明の労も省けようと思うから、少しここに書いてみよう。
- 日米でのリベラル勢力に対する民衆の反感は顕著である。日本では新自由主義への回帰が見られ、国家主義的勢力の台頭はまだ低調であるのに対し、アメリカでは保護主義・国家主義的志向がより強い。これは、長い不景気と人口減少によりもはや国内の潜在的な国力を信ずることが難しい日本に対し、むしろ保護主義を取って国民に活躍の機会が与えられさえすればいくらでも「偉大」になれると信じられるアメリカ、というある種の信仰ないし価値観の違いによるものだろう。だがより注目されるのは、日米で共通するリベラル勢力への反発、本来、労働者や生活の苦しい人寄りであるはずの日本の立憲民主党や米国の民主党への反発だ。これらは畢竟、よく言われる「分断」の問題に帰せられると思うが、その根は深刻である。様々な政党があり、主張があるが、その誤りをあげつらうよりむしろ、そうした主張の強いところ、もっともなところを見つけ出して比べて考えた方が、有益なように思う。
- 日米ともに、インフレ下の格差拡大で所得による社会階層の分断が進んでいる。人材の流動性は高まっているように見えながら、非正規から正規、あるいは非専門職から専門職への移行の壁はますます高まっている。州や市ごとの自治が強いアメリカはもとより、日本でも都道府県ないし市区町村単位での社会福祉政策の違いが、地理的な社会階層の分断を促進している。これにSNSのエコーチェンバーや既存メディアの党派性が、情報による階層分断を推し進める。こうした流れは総じて社会階層の分断を拡大する方向に働いているわけだが、とりわけ日本の個人は、高齢単身世帯の増加や婚姻率の低下により、世代間交流やわずかな異文化にすら触れないで日々を過ごす傾向が強まっている。この結果起きていることは、健康で福祉を必要としない労働者と、福祉を必要とする高齢者や子供などの人々との接触が、著しく減少するという事態である。例えば、一人暮らしで日夜働き、休日は死んだように眠るという生活を送っている労働者は、社会福祉を受けている層に会ったり交流したりすることがなく、そういった人々がどのような人間かわからない。あるいは身近にそういった人間がいても、その人の立場に自分がなりうる苦しみや困難を想像できない。その場合、なぜ自分はこれほど辛い思いをして労働していて、他方に何もしないでも国の福祉政策に護ってもらえる人がいるのだろう、あまつさえ自分のお金がそういった人々の生活に使われてしまうようなことなど許されるものか、という怒りがわくのももっともである。これを押し進めていけば、自分は辛いがなんとかやっている、しかしいよいよなんとかならないほど辛さが極まったら——というのも既にこんなに辛いのに国は何もしてくれず、周りに助けてくれる人もいないのだから——あとは死ぬしかないだろう、という考えに至る。これを敷衍すれば、自分以外の生きるのが困難な人も、本来は死ぬしかないのであって、なぜそういった人が自分とは違って国に助けられ、しかも国はその代金を自分から取っていくのだろう、ということになるわけだ。そのような理解のもとでは、限界まで働かされる労働者階級と、福祉国家が支える——「弱者特権」なるものをもつ——貴族階級、という構図に見える。アメリカでは民主党のハリス候補がセレブな雰囲気を持つように見られ、実際にセレブリティの支持を集めたが、このことがまさに福祉受益層=マイノリティ特権という印象を少なからず与えたことは否めない。そうして、日常に接したことのない福祉受益層が孤独な労働者の仮想敵になっていき、本来の敵であるはずのトランプをはじめ富裕層への批判は霞んでしまう。
- しかし、アメリカはともかく日本においてそうした孤独な労働者というあり方を可能にしているのは、まさに福祉国家である。福祉国家が年金を与え、医療を与え、介護を与え、あるいは高水準の初等教育と薬物が蔓延しない程度の警察力を提供するので、そうした健康で元気に一人で暮らす労働者は、親の世話を気にせず、身辺の警護もさほど気にせず、病気などにおびえずに生きられる。はたして福祉国家をやめて労働者の減税を多少行なったところで、その代わりに同じ負担を国に代わって自分が負うことになるだけだ。親が病気になったり、親を自分で介護しなければならなくなったり、兄弟の子供を養子にしなければならなくなったり、自分が病気になって高額な医療費を払ったりする。規模の経済が働かなくなれば、単価は上がるだろう。サービスの格差も開く。減税して手取りを増やすというのは、国に肩代わりしてもらっている仕事を自分でやることになる、ということだ。気楽な独り身に、家族や親族、地域の問題が次々に降りかかる。それをどこまで許容できるか、いわば福祉国家の降り方を、いま国民全体で探り始めたというのが国民民主党の台頭の意味するところであろう。
- 手取りを増やし、政府の介入を減らそうというこうした志向は、本来は新自由主義的な発想から出てくるように思えるが、実際には左派にこそなじみ深いものだ。官僚的支配を逃れて、民間から新しい公共を作り出すという動きは先の日本の民主党時代に盛んに取り組まれた。手取りを増やすというスローガンの奥にはそうした、既得権益を保護する官僚的支配への抵抗と自己裁量拡大への志向がある。高額な医療費や薬価はけしからんので減らし、医者にかからず薬も飲まず、自分たちの身体は自分たちでコントロールしよう、という考えも同様だ。いまの高齢の左派知識人にはなじみ深い、イリイチの「医療のネメシス」論と同様の主張である。こうした考えが極端に振れれば、参政党の反ワクチン論にも通じ、それが農業や他の分野においては、自然農法だとか、そういった反工業・反理知的なものになる道理はわかりやすい。そうした主張者にとっては、自分を不当に支配し搾取する政府や工業、専門家から逃れて自由を手にする、というイメージで、反ワクチンや自然農法がいわれる。その意味で、参政党はいわば国民民主党を煮詰めたもので、極右とは違う。ただその主張では、工業化それ自体も人々の主体的なあり方を否定するとして拒絶されることになるので、アメリカのような現実的な保護主義政策へ向かうことができず、目指すところが牧歌的な原始共産制に基づく国家主義のようなものになってしまうことは、戦前の農本主義と同様である。(しかしまぁ、こう考えてくると、日本は散々右傾化が叫ばれているものの、右派が弱いというか、ずいぶん正気である。右派政党として日本保守党が出てきたが、党首は著名な作家であり、政策も至って穏健、国体を守るなどといいながら家長制度の復活も核武装も東アジアの道義的統一も打ち出さない。せいぜい、自由主義の枠組みの中で家族主義的な性別役割分業の強化といったところか。主張が現下の社会問題と上手く結びついていないから、勢力がこれ以上伸張することもないだろう。)
- こうした傾向は、冒頭に記したような分断を乗り越え、多様な人々が実際に相互に生活上で交流する、日常でふれあうような機会を増やし、苦しむ人々に対して多くの人が同感と同情をもって助け合うような社会になれば、それはアソシアシオンの活性化ということになろうが、乗り越えていけるだろう。自殺や安易な安楽死論もそうした人間的交流を通じてしか減らしていけないように思う。だがしかし、それで問題が解決するわけではない。逆に、福祉国家の必要性は充分にわかっている、税金も正しく使われるなら取られるのは本来致し方ない。しかし労働者としての辛さは如何ともしがたく、減税や現金給付もして欲しい。そういう立場から選ばれているのが、れいわ新選組なのではないか。それを名目上可能にするのは通貨発行権により貨幣流通量を増やすことだけだからMMT理論が支持されるわけだが、その行き着くところは太平洋戦争中に大東亜共栄圏に組み込まれ、軍票の無際限の発行で資源を収奪された南洋のようなハイパーインフレであろう。とはいえ、その支持の切実さは、福祉の必要性がわかっているだけ国民民主党を支持する場合よりさらに深刻であるから、これを単に経済的論理で切って捨ててはいけない。人口オーナスの中で労働者を苦しめず福祉国家を維持するにはどうしたらいいかという、日本の抱える国家的課題に正面からぶつかっているのがれいわ新選組だといえる。そして本来、そうした問題を突破するのは高所得者や資本家層への課税であり、特に金融所得課税の増税や総合所得税への組み入れであって、国民民主党もそうした主張を持っているにも拘らず、こちらはどうも注目されない。なにより、まさにこれは日本共産党の仕事であり、しんぶん赤旗も権力層の不正糾弾や国に納めるべきものを納めていない、あるいは国から取るべきでないものを取っていることを暴くのに大変頑張っているわけだが、今一つ支持が集まらない。米国でも、ハリス候補が打ち出したキャピタルゲイン課税の強化は、トーンが弱かった。資本主義の枠内では左右いずれも資本家に抗えないということなのだろう。シャウプ税制が崩壊した時には国内産業に資本蓄積の必要があったのだが、いまの資本家は、資本家だけでなく庶民もだが、新NISAでも散々国外投資されてしまったように、国内に投資しない。ならば国家が吸い上げて政府支出にした方が国にとってはいいように思うが、金持ちより弱者の方が叩きやすいという現状はなんとも悲しいものである。手取り増の名目で福祉の負担を国家から個人に移管するだけでは単に格差拡大を助長するし、日本の経済史に鑑みても日本の経済成長というのはまず外需に応じられる生産力の成長から始まるものなので、世界で必要とされるものを日本で作る、そういう産業、人材を育てるところにもっと力を入れることが必要だろう。大学を国営に戻して優秀な人材を育て、経産省は政治家と商社、メーカーとともに大型輸出案件を固め、財務省は適度な円安を維持する。政治家はトップ外交でこれを牽引しつつ、内政で産業を鼓舞する。外需の獲得なしに手取りを増やして内需を促進しても、皆がアメリカのITサービスを使って貿易赤字を拡大させるような結果に至れば目も当てられない。
- 人に必要とされるものを作って、それを必要に応じてお互い交換しながら豊かに暮らし、余裕のある時には困っている人を支え、困った時には支えられながら穏やかに生きられれば理想である。この理想が遠いのだ。しかし理想があるからには、人間はそれに近づくことができるはずだと信ずる。
- 2024年11月6日
- 自分の人生を振り返ってみるといろいろあった、というのは平凡な感慨だが、親しい友人たちとも知り合ってから10年20年となり、その人たちの人生の流れというものも他人ながらに振り返ることができるようになった。人生山あり谷あり、万事塞翁が馬というが、本当にそうである。とりわけ僕の周りには、家庭や人間関係にいろいろと問題を抱えていたりした人も多かったので、しみじみそう思う。カーネギーの自己啓発論ではないが、「道は開ける」のである。ところで最近、40代の男性と話す機会がなぜか多く、またちょうど日経新聞に、幸福度が一番低い年齢は48歳などとツッコミどころのよくわからない記事も出ていた。40歳は不惑などともいうが、不惑は誤字で孔子はそんなことを言っていないという説があり、それを差し措いても、惑う人が多からこそ「不惑」であれという呼びかけが広く受容されるという面があるだろう。半世紀ほど前になるが、中井久夫は思春期をめぐるワークショップでしきりに「第二思春期」が話題となったといい、それは40歳前後の時期であると書いていた。最近でもミッドライフ・クライシスなどと言われるが、昔から男性の厄年は42歳とされており、無根拠な迷信ながら長らく信じられてきもした。特に男性にとって40代というのはなかなか困難な年代であるようだ。煎じ詰めれば「老い」の一言で片付く問題であろうが、10代20代の苦しみがおおむね時間をかければ癒やされるものである——それは大抵、仕事かパートナーによるものだから、他者との関係構築が困難である人にとっては依然困難であり続けるものの——のとは異なり、40代の苦しみを解消するものはより内的なものであり、内的なものを培うことが必要である。そうしたことを端的に語ってくれるのは、夏目漱石の「私の個人主義」(原書NDL, 青空文庫)だろう。引っ越し回数の多さで必ず筆頭に挙げられる漱石の懊悩の人生を多少知った上で読めば、文学の偉人としてではなく、悩み多き40代男性の同輩、友人として、教えられるところが多い。近現代日本を生きる我々にとって、彼の肖像は、単なる文化人ということを超えて、千円札に据えるにふさわしいものであったように思う。
- 2024年10月18日
- 知らないことをどんどん開拓していく研究は面白いが、既に知られていることが様々な理由で無視されているのをもう一度掘り起こして整理するような研究は、一抹のむなしさをともなう。『江渡狄嶺研究』と『加藤一夫研究』は、一式見られるところがどこにもないのだろうか。『大地に立つ』や『農本社会』が手に入らないのは戦争を挟んでいるから仕方ない気もするが、戦後の雑誌が手に入らないのはなぁ。誰かがSNSで書いていたが、『婦人公論』のバックナンバーに容易にアクセスできないのも色々と厄介だ。何故かわからないが『青鞜』ですら国会図書館デジタルコレクションでアクセスできない号がある。資料のアクセスがよければ起こりえない誤解や虚偽の流布が普通に起こってしまうのは、しかし仕方ないことだ。たった数十年前の研究でも、研究潮流の中心でないというだけですぐに消え去ってしまうのだから、我々が歴史の名において知り得ることがいかに微小であることか。正しいことを作り出すのはどこまでも権力や名望であって、真理がそれをするのではないのだと常々思わされる。そんなことを思いながら、家に置き場のない数多の本や雑誌をかついで、倉庫へ運びこむために夜中の浅草線に乗る。これらもいつかは手放さねばなるまい。
- 2024年10月11日
- 先日、貴重な縁を頂いて日本思想史学会に入らせてもらった。最新号がこの度届いたが、日本思想史の門外漢である僕にとっては新しい議論がいろいろと飛び込んできて、とても楽しく読んだ。大して読んだこともないのに、安丸良夫や鹿野政直の民衆史研究を継承したいでーすなどとのたまっている身としては、平石さんという方が書かれている安丸良夫の「全体」概念を検討した論文を読んで、あまりの感動に涙がちょちょ切れた。「個々の歴史家が現代というか世界の全体性に対してどういう責任を持とうとしているのか、究極的には倫理の問題」がある、という安丸の主張は、(それが正しくない、そういうの嫌い、という人が沢山いるのはわかるけど)くうぅ〜って感じだよね。ほんとそれ。それがあるから歴史学をやっているし、しかしそんなことを思っていたら多分えらい歴史学者にはなれないとも思う。まさにそうした全体性を捨象して「分科」の「学」に取り組むところから、「科学」が始まるわけでな……。ちくまの『思想史講義』の編者による紹介文には「歴史学」と「思想史」とが別の項として対比されながら語られていて、これも学ぶところが多かった。僕は書くのが好きで、研究は別に大して好きじゃないのだが、小説を書けるほど想像力が豊かでもないので、資料を集めてきてそこから世界を生み出すということをやっていたら、いつの間にか歴史研究っぽい営みに首を突っ込んでいたのである。ただそうすると、ディシプリンは取り扱った資料に即してあとからついてくることになるので、専門分野を聞かれても答えづらい。加えて、たくさん論文を出さないとあかんちうことで、いろんな分野の雑誌に投稿して数を稼いでいたら、足を突っ込む分野がますます広がってしまった。僕の書いたものをそれだけいろんな人が読んでくれることになるのは嬉しいのだが、僕がどういう研究者であるかを分野から同定しようとすると、これはかなり難儀だ。なお、普段知らない人に仕事を聞かれた時は、専門は古紙回収業だといっている。古紙回収は一般廃棄物処理業と異なり無免許でもできるし、大枚をはたいて古紙を回収しているのは紛れもない事実なのだ。先日も、数百枚の紙束が送られてきた。教員公募に送った僕の応募資料が不採用の由で返送されてきたのだ。古紙を回収して、さらに古紙を作っているというわけである。おれは、木に、森に謝りたい。十字路へ行って、みなにお辞儀をして、大地に接吻したい。誰か、誰かおれをリサイクルして、まっとうな人間にして再利用してくれ……。
- 2024年10月8日
- 昭和農業恐慌では、真面目にコツコツやってきた米農家が、みたこともない太平洋の向こう側の大西洋に面した都市のちょっとした数字の動きで、人生根こそぎ奪われて娘を売女にさせられて一家心中だよ。おかしいだろそんなの。アジア通貨危機でとどめを刺された金融機関がバタバタ倒れたからって、氷河期世代になんの罪がある? おかしいんだよ。おかしい。真面目に頑張ってる連中が馬鹿を見る社会はおかしいんだよ。真面目に頑張ってる奴を、完璧にできてないからとか、自分の思うレベルに達してないからって理由で馬鹿にすんなよ。それぞれの人生はそれぞれの価値をもってんだよ。なんでそれが金になるか、誰かの欲求を満たしたか、とかそういうことで評価されなきゃなんねーんだよ。お前の人生はお前の人生、おれの人生はおれの人生、尊重しようや、まず。その上で、それぞれの努力、チャレンジ、まぁちょっと状態とか? 悪い時もあるけど? いいじゃんそれはそれで。時間は線形だけど歴史は非線形だから。資本主義を転覆してもっとよくするみたいなのは、正直難しいと思うおれも。だけど、まぁその人間を尊重する、認めるのは、資本主義とか、あるいは今の時代の「活躍」とかなんとかって基準でみる必要なくね? その人のその人らしさっていうか、その人が生きてるってことがチャンピオンじゃん、Queenだってそう歌ってんだよ。救われてぇよ、マジで。救われたい。でもそれは、救ってくれるなにかに縋るって事じゃないんだよな、おれ的には。おれが向き合う一人一人のおれらが、おれを救って欲しいと思うし、おれはおれら一人一人を救いたいと、マジで思ってる。無理だけど。そんなことできないけど。でもほんとおれら、生きてるだけでスゲーから。そこは認めるから。みんなみんな幸せになって欲しい。おれはそのために頑張る。自分ができることを頑張る。その前にもう一杯ビールもらえないすか。あ、もう閉店すか。スタッフさん終電なんすね、すみません、すぐ帰りますんで……。
- 2024年9月24日
- ふと思ったのだが、「ケア」をめぐる研究において、いわゆる「ケア」を私的領域で担わされてきた女性にスポットをあてるのと同様、大学に沢山いる料理のできない中高年男性に、「なぜあなたは料理せずに生きている/これたと思いますか」という心理学的調査を行なって、自らをケアしなくても他者からケアされることが自明であると観念できるような自意識がどのように形成できたのかをインタビュー調査して欲しい。「そういう時代だったから」で終わらせず、どのような意識が「そういう時代」を実現できたのか、ということを知りたい。ケアしなくてもよい、という意識は——料理すらできないということは、本当に生存に関わるような能力の欠如なのだから——意識的であれ無意識的であれ、必ず誰かが自分をケアしてくれるという前提が観念されているのであって、そういう観念は、必ず自分をケアしてくれる人を手に入れなければならないという意識と表裏一体なのではないか。それが、ケアしてくれる人の獲得競争としての男性社会の競争ともなろうし、あるいは競争に負けた人をケアしなくてもよい理由にもなろうし、ないしは自分のことをケアしてくれる人として確保した人物がケア以外の活動に従事することを、その人の人権を蹂躙する結果になろうとも否定する、という行動にもつながってくるのではないか。いやしかし、どういうことなのか、本当のところはまったくわからないが、このままいけば、現代日本史における性別役割分業のある部分、例えば「飯炊きはおんなの仕事」「男子厨房に入るべからず」というような通念については、明らかに歴史上の出来事に属することになるわけで、そういう時代を知っている人がいなくなる前に、そういう時代を成立せしめた条件は、その道の人になにかしら記録、分析しておいて欲しいと思う。自分が、例えばガスコンロを使うのが怖いとかそういうレベルで本当にまったく料理できなかったら、自分好みのものが食べられないとかいう以前に、生きていけないんじゃないかという恐怖を味わうものなんじゃないだろうか。そうでもないんだろうか。
- 2024年9月19日
- ここのところこの「つぶやき」が多いのは、多分それなりに個人的な理由があるわけだが、よくない傾向だ。端的に言って、言葉を記すことは他を作ることだし、何か真理を記そうとするのではなく、自慰的に行なうのであれば尚更だ。まぁしかしそれはさておき、全くどうでもいいことを思いついたので書いておこうと思う。
- 松沢裕作『歴史学はこう考える』(筑摩書房、2024)を先日買って読んだのだが、これが結構売れているようだ。僕は松沢さんに、研究者としての死の淵から救われるほどの大恩を受けているものの、松沢さんのゼミには出たことがない。だから、松沢さんが考える歴史学はこう考えるのだなぁ、ととても面白く読ませてもらった。僕は正直なところ(正直であることは重要だ)、歴史学の訓練を受けてきてはいない。だが、歴史学のトレーニングを受けられる手頃な本というのもなかなかないので、この本でそれを学べたことはかなり助かった。それで思いついたことというのは、このまま売れていくと、松沢さんがツイッターで、次のようにつぶやくことになるんじゃないか、ということだ。すなわち、「「歴史学はこう考える」ということは、「こう考えなければ歴史学ではない」、ということではありません。」というツイートが来ると思う。「歴史学はこう考える」の対偶は「こう考えないものは歴史学ではない」なので本当はまずいのだが、松沢さんのいう歴史学はかなり唯物的で実証的な傾向があるので、そういわざるを得ないと思う。早晩、『歴史家たちはこう考える』という対談集かアンソロジーが出ること請け負いだ。
- このちょっとした思いつきをさらに敷衍していくと、実際のところ、歴史家はもうすこし雑にそれっぽい歴史像を仮構するし、綿密な実証よりちゃっちゃと組み上げられた鮮やかな歴史学にひとは惹かれる傾向があるんじゃないかと、僕はこれを読んで思ったわけだ。それは松沢さん的には許すまじ非歴史学的行為なんであろうが、僕としてはむしろ、ありあわせの史料でそれっぽい仮説を作ることの方が、歴史学の仕事して取り組まれてきたし、注目されもしてきたのではないかと思う。歴史なんて所詮『メタヒストリー』じゃん、ということが言いたいのではない。そうではなく、史料が色々ある中で、松沢さんが言う通りいろいろにそれが使えてしまう便利なものではあるけれども、歴史家の専門性はそれに限定を——甲と乙を突き合せれば何某ということは少なくともだいぶ明らかですよね、それ以上はまだわかりませんね、というような——つける仕事にあるのではなく、そもそも人間は世の中にあるいろいろなものを人間精神の対象にできる中で、人間が過去になしたことを知るために有用な史料に敢えて注目して、これ、なんか面白いんじゃないですかね、ここから知らない世界がイメージできたりして楽しいんじゃないですかね、ということを考え、その考えを共有する論理を探ることが、その専門性なんじゃないか、ということだ。そのエスノメソドロジーをやるとすれば、史料を眺めながら天井を見つめ、そしてコーヒーを飲む(ないしタバコを吸う)、歴史上のある段階、世界についてのイメージをもつ、そして例えば、こう読んだら、僕の指導教授ならこう批判するだろう、僕の同僚はこう茶々を入れるだろう、もしこの史料が示すような世界に僕が生きていたら、僕はどうするだろう、などなどと想像する、そこが重要なんじゃないかと思うわけだ。
- 史料を突き合せてそれが読めていますというのは、歴史家のエスノメソドロジーとしては綺麗すぎるし、あんまり正しくない、と僕なんかは感じざるを得ない。もし松沢さんのいうことが正しければ、ある程度の素養を身につければ、タイムマシンに乗ることができれば誰でも歴史家になれると言うことになるだろう。ひょっとすると、「哲学史」や「思想史」よりも、天文学や物理学の方が歴史学に近いことにもなろうというものだ。しかしそうではないと思う。なぜならそこには、史料を手がかりに、現状とは別様の世界を構想する能力が必要だからだ。そこにこそ、歴史家が自らを歴史家と考え、またお互いをそう承認する一定の様式がある。言い換えれば、世界観を共有するような前提のようなものだ。それは史料分析の正しさとはかなり違うところにあって、それというのも、史料から想像しうることはほとんど無限にあるわけだから、それがある種の限定を伴うためには、史料から読み取れること以上のかなり多くのことを、その前提として共有する必要があるからだ。その意味では、僕はエスノメソドロジーというのがなんなのか知らないが、松沢さんが本の中で、自分がいつ頃読んだ論文か、自分の先生や先輩が誰か、そうしたことに敢えて触れるのが、歴史家らしい所作だなぁと思った(ランケにとっての神であり聖書だろう)。歴史家は村上春樹ファンのようなところがあって、表にある書かれたものに対して、それが示唆する他の文脈を共有することで楽しむという傾向がある。それによって歴史家は自分たちが歴史家であることを確認しているかのように。そのコミュニティには入れない僕は、ことさらそう思うのだ。これは例えば、鉄道オタクが、目の前にある車両やその発する音そのものをつぶさに分解してその知識を共有することでお互いがオタクであることを確認するのとは、かなり違うように思う。別に「歴史学はこう考える」ことになにか説明として間違いがあるというわけじゃないんだけれども、松沢さんが言っているような話というのは、歴史学の中でもかなり唯物的に歴史上に何があったかを厳密に考えてみようとする一派の考える「歴史学」であって、僕としては、まぁそれはそうなんだけど、歴史学はそう考えなくてもいい、あるいは逆に、それだけだと資料整理はできるけど歴史家にはなれないのでは、と言いたくなる。いや、松沢さんが「歴史学」の理念型をそうした社会科学として捉えたいというのはよくわかる。その方がいろいろといいことがあるのもわかる。わかるけれども、それに僕も多少なりともそうした動きに与しているんであろうけれども、やっぱりそれでも、「「歴史学はこう考える」ということは、「こう考えなければ歴史学ではない」、ということではありません。」と言って欲しいと思う。
- 自分についていえば、あの基準でいくと、僕が思想史と称してやっているものは歴史学ではない。思想史の看板の下で僕がやっているのは、「本当にそれがその人の有していた思想であるかどうかはともかく——仮にそうであるとすればすごいことだと思うけど——これはこう読んだら面白いんじゃないっすかね、知らんけど」ぐらいの話で、この思想はこう捉えるべきということについては最低限合意できますよね、みたいなことすらも容易には言えない。言えるのは、一応論理的には矛盾なくその思想をこう捉えうる、というところまでだ。さらにいえば、「史」がつかない文学の論文を書く時は、「ここに何か面白そうなことが書いてあるけど何もわかりません、自分がわかっていないことはよくわかりました、本当にすみませんでした」というところまで、なんらかの事物事象に対する明晰さは後退する。あくまで僕の場合はね。それでなんで論文が書けているのか、ということは、『おれはこう考える』という本を書いて、おれという研究者がどう考えてどう書いているのか、自分を観察の対象にして論じなくてはならないかもしれないが、そうすると史料にあたったり本を読んだりしている局面というのはあんがい重要ではないかもしれない。そうではなくて、子供がうるさいのが辛くて家事を放棄して全部妻に押しつけ隣の部屋に入ってガチャリとドアを閉める瞬間とか、向かいからやってくる露出の多い服を着たアトラクティヴな女性の太腿を見つめそうになりあわてて目をそらした瞬間とか、昨日と同じことをため息交じりに非常にもってまわった言い方でやんわりと指摘されて自分の存在価値のなさを再認識する瞬間とか、もう何もかもやりきれなくてアルコール飲料を喉に流し込んだ時にスッと救いに近づいたような気になる瞬間とか、そうしたときに「書けて」いる気がする。エスノメソドロジーについては何も知らないが、しかしエスノメソドロジーという手法を使うんであれば、その営みが「研究」として成立する社会的契機を見出さなければならないのかもしれない。しかし、僕のやっていることのどこに相互行為の契機があるのだろう? それは単なる言葉を通じた自慰に過ぎないのではないか? 一体どこに研究の契機が見出せるのだ? そんなもの誰が読むというのだ? 果たして何の意味があるのだ? なんでのうのうと生きているんだ? ウワーッ! 助けてくれーッ!
- 2024年9月16日
- 誰しも、親や保護者の影響で触れるようになり、大きくなってからそれをノスタルジックに感じるようなコンテンツというものが、一つ二つあると思う。僕は少し前に、「素直になれなくて」(『現代女性文化研究所ニュース』61号、2022年5月)というエッセイで、音楽のそれについて書いた。授業ではよく、ラジオ番組の「ジェットストリーム」を引き合いに出すが、これも親に教えられて聴くようになったものだ(いまや福山雅治が機長役をやっているらしい、驚き!)。音楽、ラジオとくれば、あとはテレビだが、テレビはなんといってもNHKの「小さな旅」だ。バブル崩壊期、妹が生まれるタイミングでニュータウンにまだ高値で戸建てを買い、それの完工を待つあいだ、母方の実家に一家で居候していたのだが、その6畳の和室のテレビで毎朝流れていたのが、「小さな旅」だった。あのテーマソングを聴くと、いまでも石油ストーブの上で焼いたトーストとそこで沸かした湯でいれた紅茶、座る間もなく台所と居間を行ったり来たりする祖母と新聞を読む祖父の姿を思い出す。先日ふと、NHKプラスで探したら、いまでも同じ題字とテーマソングで、「小さな旅」を観ることができた。「旅」というより、いろいろなところのそれぞれの暮らしの断面に肉薄する内容である。確かに思い返せば、登山の回などもあった気がするが、名所や名跡を喧伝するというんではなく、そこで出会う人、あるいはそこを往く人、その息づかい、生き様のある瞬間を、カメラで切り取り記録するという、そんな番組だ。まるで民俗学、それも日本放送協会が「日本」という枠内でやる、「一国民俗学」をカメラでやっているようなものだ。一体どういう経緯でこんな番組ができたのだろう、あるいは柳田国男の影響があるんだろうか。いまやこの番組自体が一つの民衆史的アーカイブであろうし、他に阿ることなくこうした各地の風俗を旅する番組をつづける信念というか理念というものは、一体どういうものだろうかと疑問が湧いてくる。「小さな旅」を旅する——決して一様ではないこの国を映して——そんな論文を、いつか暇ができたら書いてみたい。
- 2024年9月13日
- 僕が一番最初に入った学会は、社会思想史学会という学会である。この学会は『社会思想史研究』という年報を出しており、今年の特集は女性をめぐる思想を扱うということで読むのを楽しみにしていた。今日それが届いたのだが、特集のタイトルが「女性による社会思想史」というもので、「女性」に括弧もなにもついておらず、やや不穏な感じがした。というのも、これまでの特集で何かの概念を主題にする場合には、〈社会思想史〉であれ〈市民社会〉であれ〈都市〉であれ、たいてい山括弧をつける習わしであったからだ。そのひそみにならえば、〈女性〉となるはずのところだ。それに括弧もなにもつけないというのは、あえて「女性」を歴史上本質的に存在していたものと措定する意図があるわけで、社会思想史学会のやることとしてはかなりのチャレンジであることになる。さて巻頭論文は、水溜さんという方が書いている。近代日本思想史だから僕と密接な関係があるわけだが、内容がなかなかスリリングである。鶴見俊介が、公的領域から排除された女性についても家族間の権力闘争(「家庭内の諸力」)から転向の過程を解明することが課題、そこでは「男性もまた妻子の権力に屈して転向してゆく」と書いているのを、どこをどう読むとそうなるのかわからないが、女性が「夫の意見に引きずられて転向すること」と解釈しており、史料とは関係なく自分の意見を論文に書き込む力の重要性を教えられた。また、男性によって書かれた思想史に女性が登場しないという、ここ半世紀以上はいわれているであろう自明の話をくりかえした上で出してきた説が、「文学作品を除外したこと」で女性が登場しなくなった、というに至っては、あまりの分析の鋭さに椅子から転げ落ちるしかなかった。確かに、社会評論を多くものしながらほぼ文学者としてしか評価されてこなかった与謝野晶子のような人物もいるしな、と思ったら、与謝野の与の字も出て来ない。女性評論家として活躍した筆頭といえばまず思いつくのが神近市子、著書も多く雑誌も出して戦後議員にまでなった奥むめお、僕の研究に引きつければ満洲で活躍した望月百合子などもいるが、一切出て来ない。そうした女性評論家がなぜ思想史論に出てこないのか、というのが問題であると思うのだが、水溜さんがそうした女性評論家の同時代的影響力や重要性はあまり関心を持っていないことは、かえすがえすも残念である。しかしもちろん、文学のなかでもとりわけ小説や詩が思想史の対象として検討されることが少なかったことは指摘としては重要だ。なぜそうしたものが「思想」の対象にならなかったのかについて、水溜さんは「男性知識人と比べ女性知識人は、女性にまつわる個人的な問題に関心を集中させる傾向を持っていた」から女性が「マクロな視点」を持たなかった、しかも女性知識人は「訓練を受ける機会を持たなかった」からマルクス主義理論に通じていなかった、だから女性が書いたものは「思想」の対象にならなかったのだ、という。なるほど、個人的な問題や非マルクス主義的な理論を扱っていては「思想」と見做されなかった、という趣旨だろうか。これは二重の意味で僕には疑問がある。第一に、男性も個人的な問題を散々扱っているし、女性の方が個人を超えた共同体について鋭い論を沢山出しているかもしれない。女性の方が個人的な問題をやっていたという主張には一切根拠がない。第二に、当然ながら、個人的な問題や非マルクス主義的な問題も散々思想史で扱われており、むしろ論の最初で引かれている二つの『日本思想大系』に入っている柳田の民俗史や、安丸良夫、鹿野政直らの民衆思想史やらを思い起こせば、戦後日本ではそっちのほうが重要な思想史的課題ですらあった。さすがにこれは、どういう風に読めば妥当な論として読めるのか、スリリングを越えてハプニングの域に至っている。もうこれ以上はいわないが、正直、中堅の世代の先生がこれでは、水田珠枝先生にちょっと、カツを入れて頂かなくてはならないのではないか。近代日本思想史に女性がいない問題は、まずもって女性思想家を女性だからという理由で入れなかったことにあり、それは文学がどうこうという話ではない。なぜ女性だからという理由だけで入れなかったのか、ということが問題で、それは「思想史」を書く人々がどのような「思想史」を意図していたか、を論じなくてはならない。それこそ社会思想史学会で、〈女性〉による社会思想史、あるいは〈女性〉のいない社会思想史、として問題にすべき点であった。なんでわざわざ、戦前の日本の「女性」は「個人的な問題」ばかりやっていて、抽象的な論理がわからず「思想」にならない「文学」ばかりやっていた、という新たなレッテルを貼るのか。近代日本思想史に対する無知については目をつぶるとしても、論の運びとして「女性」差別的だし「文学」をやっている人々にも失礼で、僕は有り体に言ってはらわたが煮えくりかえった。こんな学会いますぐやめてやる。
- 2024年7月26日
- 南相馬郡の川又書店で買った——いや、借りた宇多田ヒカルのCOLORSのCDが、僕が初めて自分で選んだCDだったように思う。最近、宇多田ヒカルやサカナクションのライブに行ったという投稿をいくつか目にして、そんなことを思い出した。僕がもし平成史を書くことになれば、それは宇多田ヒカルのAutomaticという歌をめぐるものになるだろう。それは、一方で科学技術の無限の発展を予期し、他方で市場の調整機能への期待が新自由主義の絶え間ない伸張をもたらした時代を象徴する言葉を冠した歌であり、かつその時代を象徴する歌手のデビュー作であるからだ。Automaticとは、つまりφύσιςなのだと僕は思う。人間はもはやなにもしなくとも、科学技術が人間の必要を満たし、自然の法則が市場を通じて経済活動を適正化する。自然がその絶対的、超越的な力で——まさにrevolution(天体の運行)として——理想を実現すると究極的に期待する点で、社会主義者も新自由主義者もあまりかわらないのではないか。しかしこれは暴論だろうけれども。国家だろうと市場だろうと貨幣だろうと財だろうと、人間が意志的に取り組まなければ、すぐにそれらは消え去ってアナーキーな世界になってしまう。アナーキーな世界ではアナーキズムなど生まれない。近代的中央集権国家がうまく機能した時に、ようやくアナーキズムが求められるのだ。そして上手く機能する近代国家は、多くの人間の英知を集めて建設し運営するのでなければ実現し得ない。8世紀に成立した律令国家は9世紀の終わりには機能不全に陥っていた。そのあと10世紀の間、この列島に実質ある中央集権の法治国家は作れなかったのだ。19世紀の終わりに成立した立憲国家を、はたして21世紀の終わりまでもたせることができるのだろうか? 僕は理想社会を追求する人間だが、しかし同時に、いまの社会が10世紀もの間も届かぬ理想となってしまわないよう努力しなくてはならないとも思う。
- 2024年7月23日
- 自己否定は人間にとってのある種の快楽である。キリスト教における懺悔、仏教の悟り、社会主義者の自己批判、武士道の滅私奉公、みなそれに類する。自らの内から出るもの、欲望や価値観をすべて否定するという快楽。バタイユの『エロティシズム』における禁止と侵犯、ショスタコーヴィチの交響曲第5番の第4楽章、紅衛兵の造反有理、その意味ではいずれも同様に見られる。逆に言えば、歌舞伎町ではサディズムも一種のカテゴリに過ぎず、ショスタコの革命もガーシュウィンの前ではスラヴ風に聞こえ、軍事力が社会主義の理を弛まず示したソ連であれば——クンデラが描く通り——人民が造反する理由はない。理性的に現実の価値体系や伝統的慣習を理解していればいるほど、それに対する反動がより大きなカタルシスを生む。貨幣経済に浸かれば浸かるほど社会主義が、政府に頼れば頼るほど無政府主義が、天皇を恐れれば恐れるほど市民革命が、暴力を拒否すれば拒否するほど武力蜂起が、快楽の鞭となろう。太平洋戦争の敗戦後日本で民主主義者に鞍替えした軍国主義者達は、さぞかし深いカタルシスを味わったことだろう。単に思想の転向だけでなく、「転向の快感」ともいうべき感情の働きがあり、その快感を継続させるために、自己内の矛盾を糊塗する理論が発展していく。どうも思想史には、そうした側面が常にあって、それをどこまで整理して論じることが妥当なのかは悩まされる。もし、それが虚偽である自覚のもとに、しかしその自覚ゆえにある思想を組み上げるとすれば、その虚偽の思想は、その人の思想といえるだろうか。然りそれは、その人の思想でありながらその人が自らの思想としなかった思想というべきであろう。虚偽の思想を強制されたというのなら簡単だが、人はそもそも虚偽の思想を組み上げる傾向にある。社会的弱者を救済する必要を懇々と説きながら、自分が搾取する側に立つ蓋然性についての理論も強靱に有していたり、貞操を守ることの重要性を重々理解しながら、同時に不貞を働く理由についても雄弁に語ったり、性の自由と平等を縦横に論じながら、ある性だけが本質的に救済されるべき対象であると訴えたり、特定の民族の優越を論じながら、その民族は他の民族に容易に脅かされ転覆されるとも主張したり、そのような傾向については枚挙に暇がない。しかし、そうした矛盾を抱えていた方が、思想が深化することも見やすい道理である。自らが守ろうとするある思想に強く対立する思想がなければ、そしてその対立する思想の有効性を深く理解していなければ、自らの思想を擁護するための論理を強める必要も生まれないからである。そうした矛盾を抱えながらそれゆえに思想を深めるなど、そこに快楽を感じていなければ到底なしうるものではないのではないかと思う。あるいは、一つの単純な教条を信じて済むのであれば、人は容易に悩みから解放され、思想などという大仰なものを持たずに済むだろう。その代償として、異なる教条を信ずる人を排除する力が必要となるだろうが。
- 2024年7月10日
- ガルシア=マルケス『百年の孤独』が文庫になったので、早速買い求めて読み始めた。僕がこれまで読んだことのあるラテンアメリカ文学は、たった3冊だ。1冊目がマヌエル・プイグ『蜘蛛女のキス』、2冊目がマシャード・ジ・アシス『ブラス・クーバスの死後の回想』、3冊目はバルガス=リョサの『密林の語り部』であるが、この最後のものは半分くらいまで読んだまま、どこかに置いてある。読んだことがあるというより、読み始めたことがあるといった方が正確かもしれない。
- 僕が何か話をしようとすると、いつも昔話だ。この3冊を勧めてもらったのは5,6年前のことだったろうか。たまたま中学時代の友人が近くに住んでいることを知り、旧交をあたためる機会があった。彼女は高校受験のための塾の同じクラスにいて、ストレートの長髪に眼鏡をかけ、それほど饒舌ではなくやや抜けたところを垣間見せる、クール・ビューティなキャラクタだった。中学卒業後の消息は、一度なにかのコンテストで入賞したのを新聞で見かけた他は、なにも知らなかった。十数年を隔てて再会した時、数ヶ国語を操りながら金融機関で働いていた彼女は、当時の面影を引き継ぎながらも、それを鮮やかに塗り替える印象を僕に与えたのだった。僕の凡庸な暮らしの中では到底知り得ない様々な文化の知見や幅広い交友関係をもっていて、話を聞かせてもらうたびに僕の狭い世界を広げてもらった。ラテンアメリカの音楽や文学の話題もその中に含まれていて、教えてもらって読んだのが上の3冊だったというわけだ。『百年の孤独』もその時に教えてもらったのだろうか? あるいはそうかもしれない。名前だけ脳裏に残っていたが、文庫でないとなかなか持ち歩けないものだし、さらに新刊でないと書店に並んでいないから、いずれにしてもこれまで手に取る機会はなかった。
- 読み始めてみたら、上の3冊にも通じるある種のあたたかさがあって、改めてラテンアメリカ文学の味わいを感じた。まったくしろうとの臆見だが、アングロアメリカ文学が「非情のリアリズム」なら、ラテンアメリカ文学は「温情のリアリズム」という感じがする。人々の自然や運命との関わり、情熱的だがあまり言語化されないで描写される性行為、唯物的論理構造を伴わなずしかし連続的に描かれる歴史展開、同じ世界観を共有する短編集のような——実際、「マコンドもの」の短編がいくつかあるわけだが——物語の流れ、そういったものが、そこにいる人々の存在を無条件に肯定しているような温かみを読者に与えてくれるような気がする。僕は一歩も足を踏み入れたことがないが、ラテンアメリカに行けば、そういう雰囲気を味わえるのだろうか。せり出た腹肉の下で腰ベルトをきつく締め、誰もが孤独な童貞のような表情で歩いている場所で抱くような悩みは、そうした土地では吹き飛んでしまうのかもしれない。
- 2024年4月3日
- 僕は教養がない。というか、教養がある人間になるためには楽しむべきことがありすぎる。今の自分の歳では、教養のきの字もまだまだ味わうことができていないと思う。無教養なので、「レ・ミゼラブル」を演劇で見たこともなければ、「機動戦士ガンダム」のアニメをみたこともない。同様に「猿の惑星」もこれまで観たことがなく、SuchmosのMireeという曲の歌詞でしか知らなかったのだが、先日初めて「猿の惑星」の映画をテレビで観た(といっても、合間合間でちらちら観ただけだが)。なんでも、子供に好きな映画を訊かれた相方がそれを小さい頃よく観ていたという話をしたら、それが現在サブスクライブしている動画配信サービスで観られるというので、子供たちがそれを見始めたのである。知らないといえば、10年以上の付き合いなのに相方がSF好きだったことも知らなかった(これは教養の問題ではない、もっと別の深刻な問題かもしれない)。そもそもSFは星新一の『未来いそっぷ』を読んだことがある程度で、どうも馴染みがない。筒井康隆の下品なショート・ショート(射精してテレポートする、といった類の)をSFの範疇に入れるなら、もう少し読んだことがあるといえるが……。
- 高校時代にO倉君という、哲学のO倉と数学のM浦、みたいな、あんまり学校内でみかけないのにすごく頭がいい奴がいて(どこの高校にもこういう奴はいるものだ)、彼がSF好きだった。僕もSFを読んでスーパー・ファンキーになろうと思い、何を読んだらいいかと尋ねて、しろうと向けに三冊ほど教えてもらった記憶がある。彼が推薦してくれたのは、フィリップ・K・ディック『流れよわが涙、と警官は言った』と『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』、それからなんだったかな、いや、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は僕が読んでないのに読んでいたふりをしたのでその三冊には入っていなかったはずで、もう一冊なにか、べつの著者のものを紹介してもらったのだったと思う。とにかく僕は、水色の背のハヤカワ文庫のその三冊をさっそく志木かどこかのブックオフで買い求め、自分の本棚には入れたのだった。しかしついぞ読みそびれたまま——ほかにハヤカワ文庫がないのでその三冊はいつも気になるのだが——いまも文庫の並びに収まったままだ。これを機会に、ちょっと読んでみようかしら。高校時代に買って寝かしておいた本に、ようやく相まみえるというわけだ。こういうことができるところが、積ん読の効能(?)であるのかもしれない。
- 2024年3月26日
- Mondo GrossoのMG4というアルバムが好きで、昔からよく聴いている。しかし、僕がクラブ・ミュージックや、ましてやアシッド・ジャズに通じているというわけではまったくない。ただMG4だけを聴いている。これにはちょっとしたわけがある。話は15年、いやそれよりもっと前に遡る。当時、ハイカラとは名ばかりの、中身のないイキった大学の若き血煮えたぎる学部生だった僕は、都の西北のバンカラな大学に憧れを抱いていた。で、mixiを通じて早稲田のあたりでフリーペーパーを発行するとかいうサークルに参加したのである。参加してみたらなんのことはない、早稲田生など一人もおらず、芸術学校だとか、おっさんとか、なんか怪しい人々の集まりだったが、それがまた早稲田らしい感じもして、楽しかった。
- 当時、フリーペーパーというのは一世を風靡したブームで、いまでいえばnoteのアカウントのように、猫も杓子もとりあえず発行してみるものだった。きっかけは多分ホットペッパーとR25という、いずれもリクルートの発行するフリーペーパーの成功だったと思う。僕も学部時代、2,3個のフリーペーパー創刊に関わって、いろいろ思い出があるが、とにかくその早稲田のフリーペーパーサークルは、結局創刊できたんだかできなかったんだか、運営がぐだぐだだった記憶があるが、とはいえそこでいろいろなデザインツール、マインドマップだとか、そういうことを教えてもらったのは楽しい経験だった。
- サークルにはおっさん含む4人の男性と2人の女性が参加していて、女性の片方はイケイケな感じの芸術系、もう片方はクールなアングラダウナー系だった。で、芸術系のほうはたくさん喋るんだけど、アングラダウナー系のほうは何を考えてるのかよくわかんなくて、ささやかな交流を試みて、教えてもらったのがそのアシッド・ジャズというやつだった。それで、よく覚えてないんだけど、その人にダビングしたCD——ダビングしたCDといって今の人に通じるのだろうか——をもらって、まぁオマエみたいな素人はこれでも聴いてなさいってこった、って感じで渡されたのがMG4だったのだ。ほかにもう一枚CDをもらった気もするんだけど、とにかくMG4を僕はそれから好んで聴くようになった。
- もしその後の交流の機会があれば、さらにほかの曲を紹介してもらう機会もあったのだろうが、残念ながらそのフリーペーパー企画団体はあえなく解散し、その後は男性しかいない高田馬場のウェルカムでアルティマを囲む会となってしまった(そこには早稲田生がちょこちょこいた)。そんなわけで、僕のアシッド・ジャズ歴(?)は、MG4に始まり、どこにも行かないままMG4に終わったのである。芸術系の女性の方は名字だけはなんとか思い出せるのだが、そのわざわざ僕にCDを焼いてくれた女性の方は名前も思い出せない。今は何をしているのか想像もつかないけれども、Apple MusicでMG4を聴くたびに、その人のことをふと思い出す。
- 2023年12月5日
- 氷山の一角という言葉があるけれども、歴史研究において歴史的事実として論理的に提示されるのは、分析の対象となる厖大な史料のうちほんの一部。史料を見ていくうちにはいろいろ面白い内容のあるものもあって、目にしたときには、これは面白いな、SNSで「バズ」るかもしれないな、などと夢想するのだが、結局それをどこにも発表することはないまま数日後には忘れてしまう。いくらアナール学派の素晴らしさを説かれても、史料の量に対してちっぽけな脳ができることには限界がある。おそらくそのほとんどは、日の目を見ずに流れていく。
- 例えば今日も、SCAPINs(連合国最高司令官指令)をめくっていたら面白い資料を見つけた。SCAPINsは連合国の対日指令、つまり日本が第二次世界大戦で敗戦後、連合国の占領下にあったときに、占領軍から主に日本政府宛に受けた指令を指す。メディア統制、軍部の解体、引き揚げ者対応など重々しい指令が並ぶ中に、"SCAPIN-327: IMPORT OF 870 TONS TAPIOCA(1945/11/21)"という指令があった。つまり、「870トンのタピオカ輸入について」という指令だ。意味が分からない。文書を開いてみるとたった二行、「貨物船SS Samlamuが870トンのタピオカを積んで11月22日に鹿児島港へ到着する」「この荷物の配送を手配するように」と書いてある。これを受け取った外務省側の資料も外務省外交史料館に残っており、内閣府の沖縄戦関係資料閲覧室サイトで「連合軍の本土進駐並びに軍政関係(19) (連合軍司令部来信綴 昭和20年8月31日-昭和21年3月31日)」として公開されている。そこには「主管二部四課了「タピオカ」(八七〇噸)輸入ニ関スル件」と書き込まれているが、それを鹿児島港からどこへ運ぶのか、なにを手配するのかということは全くわからない。占領軍がタピオカミルクティーを飲みたくて大量のタピオカを輸入したということなのだろうか。あるいはそれを日本経由でどこかに転売するとかなのだろうか。そもそもそのタピオカはどこからきたのか(おそらく台湾だろうが)、なぜこの指示がわざわざSCAPINで下りてくるのか、輸送する貨物列車は鹿児島から出発したのだろうか、タピオカを満載したワムを牽引して鹿児島本線を爆走するD51……などなど興味や妄想は尽きない。経済史のテーマとしては結構面白いと思う、占領下日本のタピオカ輸送からみえる、第二次世界大戦終結直後の東アジア貿易の一断面……だが、今僕の手元のテーマには関係ないので調べずに、いつか忘れて終わるのである。歴史研究というのはそういうことばかりだ。しかしこんなことを考えている場合ではない。はやく溜まっている原稿を片付けていかなければ。
- 2023年10月19日
- ナウでヤングな流れに乗り遅れまいと、Appleミュージックで配信されている日本の歌謡曲トップ100を聴いていた。Adoのインドのような曲調の歌、YOASOBIのボカロ曲のような歌など、面白い曲がたくさんある。しばらくしてダンスホールという曲が流れてきて(尾崎豊ではない。Mrs. Green Appleというロックバンドの歌だそうだ)、これはなんかどこかで聴いたことがあるぞ、と思う。中学生の頃MDで聴いたのでもない、高校生の頃MP3プレーヤーで聴いたのでもない、大学生の頃にiPodで聴いたのでもない、20代にカラオケで誰かが歌ってるのを聴いたのでもない……としばらく考えた結果、子供の保育園の発表会でダンスの曲として流れていたことに思い至る。もはや歌謡曲は自分でキャッチアップするものではなくて子供を通じて知るものになってしまった。少年老い易く学成り難し……
- いろいろな曲を聴いていると、どれもみな重要なことを歌っていることに気づく。自分という「個」の自由を尊重する重要性、他者とともに生きていくことの価値、さまざまな喜びや悲しみを経験すること、それを受け入れてなお前に進めること、多様なあり方を尊重すること、しかし自分をそれによって否定する必要はないこと……歴史・思想の授業を通して僕が説明するより、いろいろな本を読むより、J-POPを聴いていた方がよっぽど大学生にわかりやすく、重要なことが伝わるのではないだろうか。もちろんそれを体系的に言語化することは出来ないだろうが、個人の人生のレベルではそれで十分な気がする。キリスト教の賛美歌のように、歌を聴き、歌を歌うことでいまでも人は救われるのじゃないか。書を捨てよ、カラオケに行こう。僕は寺山修司でも読もうか。
- 2023年8月3日
- 炎天下を歩くBGMに、ヘンデルの王宮の花火を聴く。エルヴェ・ニケが指揮するル・コンスール・スピリテュエルの鮮やかな演奏だ。しかし、こうも暑いともっとパンチの効いた演奏が欲しい。花火もヘンデルの時代と違って、でかい尺玉がポンポン上がる時代だ。もっと激しく力強い表現が欲しい。特に、序曲のティンパニのソロは、楽譜はそのままでも、もっとぶっ飛んだ音を出せばいまの花火を彷彿とさせるような描写が可能ではないか。そう考えていったときに、ティンパニではなく和太鼓でやったらいいのではないかという考えに思い至る。和太鼓によるヘンデル「王宮の花火の音楽」。これは面白い。絶対に聴いてみたい。どこかでやってないかな。
- 2023年7月4日
- 子供にせがまれて、おぼつかない手つきで季節外れのクリスマス・ソングを片っ端から弾かされていたが、最後に「きよしこの夜」を弾きながら不意に感に打たれた。涙が出そうになった。こうしたことがあるたびに、なんと理性とは自己に対して浅薄皮相なものか、やはり救いには心の信仰と、歌と喜びによってしかたどり着けないのだ、という思いを強くする。もちろん、だからこそさらに理性によって救いを求める重要性が——なぜならそれは、信仰の対立や懐疑を乗り越え得るものだから——改めて強く理解されるのだが。
- 2023年6月27日
- たまたま、芸人のなかやまきんに君のサイトを見つけて読んだら、きんに君のネタである「おい、俺の筋肉! ○○をやるのかい? やらないのかい?」というフレーズにはたと打たれた。何をやるか、やらないかは、精神ないしそのうちの理性が判断して決めることで、筋肉は関係ないはずだ。それが西洋近代の思想である。精神が判断したことが自然的制約を受けつつも身体器官を通じて自然に働きかけることで実現する、というのが、そういった思想の無前提な前提であった。しかし、実際のところ、精神の考えたことを実現する際には、身体の外部にある自然の制約以前に、身体自身の制限を受ける。何かを動かす、組み合わせる、掘り出す、あるいは発話ですら、筋肉の作用である。つまりそれらは、筋肉がやるかやらないかで決まってくる部分がある。そして歴史というのは、精神が卓抜した人々により紡がれてきたわけではない。必ずそこには筋肉の働きが、精神と自然との関わりの間に介在する。大きな声、長い文章の筆記やタイプ、仕事や人助けのための強い力、細かいものを組み合わせる手先の器用さ、等々。何かをするのは、精神ではなく筋肉である。そういうことをきんに君は訴えているのだ。そして筋肉が、人間の制作、活動、そして歴史を紡ぐということを行うのだ。もちろん、筋肉だけではない。筋肉をどう用いるか? という理性の働きは重要である。しかしながら、理性だけではない。理性の働きと同程度には、それが働かせる筋肉があるかないか、どうあるか、ということが重要ではないか。それはセネカが、よい精神はよい肉体に宿るべきであるのに、と嘆いたことと通じており、肉体と精神は二位一体であり、相即であり、片方だけで語り得ないものではないだろうか。花崎皋平の『生きる場の哲学』にもそんな話が出てきたような気がする。こう考えてくると、きんに君のネタは、筋肉による精神の超克であり、主人たる精神が奴隷たる筋肉に自分の意志を成就してくれるかどうかお伺いを立てているさまを一言で表しているということだ。まさにヘーゲルの主人と奴隷の弁証法である。
- 2023年6月18日
- 社会文学会の大会で関東大震災での朝鮮人虐殺を芥川龍之介から読む話を聞いて、この、グロテスクな大量虐殺とそれに熱狂する民衆という構図を、つい最近何かで読んだが……と思って考えた結果、『クオ・ワディス』で描かれたキリスト教徒の処刑だったと思い至った。あの表現は過剰だろうと思ってネロ治世のキリスト教の扱いについて論文を調べたりし、あれはシェンキェーヴィチの脚色だと得心して心の安きを得たが、しかし関東大震災での虐殺は現実で、ここ東京で、沢山の資料と共に記録されている。人間は、おそらく僕自身も、そうした虐殺に興奮し、感動し、怖じ気づいてしまうものなのだ。虐殺を食い止めるのは、虐殺を嫌悪しそれを否定する者ではなく、虐殺を平然と行い得るような人間が虐殺をしないことのメリットに基づいて冷静な理性を振るった場合なのだろう。文学者の強みは、他人の存在をある種の本質として受け止めそれに寄り添えることではなく、むしろ自らの精神を絶対として他人を相対化し、それを石ころのように物語の上で踊らせることができる能力だ。ああ素晴らしきかな懐疑主義。
- 2023年6月8日
- 坂口ふみは『〈個〉の誕生』の中で、ローマ的情熱で三位の一性を素直に信じる西方と、ギリシア的明晰さで三位を分けてそれを結びつける論理を探る東方という腑分けをしつつ、それゆえ後者には一性を希求する傾向があると指摘している。ロシアの19世紀末インテリゲンチアなどその代表例だと思うが、しかしその一性の希求も形而上的であるがゆえに、原始キリスト教の理想化に帰結したのではないか。もしトルストイが真にキリスト的であったなら、彼の妻を悪妻とすることはなかっただろう。結局トルストイは、理想化された原始キリスト教を教条的道徳規範としただけで、生きた愛にはたどり着けなかった。トルストイの妻の子を愛する心性の方が、本当はキリスト的であったとすらいえる。ロシアインテリゲンチアにより理想化された原始キリスト教がその裏側に持つ現世救済と規範意識は共に、それを求めた人々を惹きつけたものであり、かつそれを裏切るものであったと思う。要は、そこに生きた愛はあるのか、ということだ。
- 2023年5月18日
- 仕事から帰ってきて家の前まで来ると、ベランダの欄干にシーツが沢山干されていて、風にたなびいているのが見える。急に暑くなったので、ここぞとばかりに家のシーツをみんな洗って干したのだ。自然と、持統天皇の歌が心中に思い起こされる。「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」。これは、5月に香具山に衣を干すという風習があったとかいう解釈もあった気がするけど、いやそういうことではなく、まぁ衣は晴れてりゃ干すんだけど、この不安定な春の天気を過ぎて新緑が萌え出てきた香具山をバックに、5月の陽気の下、心も晴れ晴れとしてきて、それで普段干してある白い衣がなお白く輝いて見えるという、そういう心情を読んだものなんじゃないかな。持統天皇が洗濯してたかどうか知らんが、一年中洗濯している人には通じる気持ちだと思う(笑)
- 2023年5月16日
- ラルクの瞳の住人を聴いてて思ったが、恋愛結婚というのは恋愛と結婚という全く相反するものを生物的情念で強制的に融合させたもので、高群が恋愛と生殖を一体と分裂というように対置している通り、恋愛の目指すところはある種の天国、桃源郷なんだな。そこから子供が生まれたり生活があったりということではなく、二人だけで救いにたどり着くというものなのだ。
- 2023年5月15日
- 長らく、古代日本で律令国家の基礎を築いたのは天武天皇であると考えていたが、いまではそうではなくて、みずから天武天皇を支え、自らがその遺志を継いで制度制定を進め、さらに譲位して文武天皇にその完成を委せた鸕野讚良(うののさらら)がそれを行ったのだ、と認識を改めている。卑弥呼、天照大神、神功皇后、推古天皇、持統天皇と、上代・古代日本史はもしそれを列伝で捉えたとしても、そのまま女性史で描きうる。ここに列せられうる男性は、おそらく雄略天皇ぐらいのものではないか。
- 2023年5月13日
- 五蘊盛苦というのは、歳を重ねるごとに身体の衰えにより退潮していくかと思いきや、むしろ自らのさまざまなことがままならなくなっていく中で、自らを突き動かそうとする働きは変わらず頑固に、あるいは益々盛んになって、年々苦しみが増してくる。こういうことを考えるくらいには、いま少し、心身がくたびれている。
- 2023年4月24日
- 『開かれた社会とその敵』が岩波文庫になったのに続いて、『科学革命の構造』が新訳で出るのか。この流れでいけば遠からず『科学による反革命』も文庫で出たりしそうだな。
- 2023年4月17日
- 少しだけCSSを書き込む。予定通り実名のTwitterアカウントは閉鎖。
- 2023年4月11日
- シェンキェーヴィチの『クオ・ワディス』が明治末期に既に訳されていたとは知らなかった。当時の知識人は古典古代の知識はあったはずだが、エウセビオスの翻訳はまだの筈で、初期キリスト教の理解はどんなものだったのだろう。後年前田河が読売のコラムのタイトルにもしていた(「クオ・ワヂス?」)。
- 2023年4月5日
- 今月中にTwitterのアカウントを閉じようと思い、代わりにこのサイトを作りました。
以下はTwitterへのつぶやきを抜粋記録
- 2023年4月4日
- 新年度にあたって色々検討した結果、あと1ヶ月ほどでこのTwitterアカウントも閉鎖することに。Facebookを閉鎖したのが2年前だったか。ブログか何かに移行しよう。。。
- まずドメインを取るところからだが、実名ドメインはどんな感じがいいのだろうと思いつくままいくつかの人名で検索。チョムスキーは姓+.info、クルーグマンはイニシャル+archive+.org。バトラーは個人サイト見つからず、クリステヴァは姓+.fr、アタリは姓+.com。これだけでちょっと面白い。
- 2023年3月30日
- 僕が近代思想を説明するために殊更にアウグスティヌスを学ぼうとするのも、鑓田の影響だ。もはや当時(大正〜昭和初期)の東方神学研究とか調べてみたい気分だ。初期社会主義の関係者の触れた「キリスト教」とはなんだったのか。もっと勉強しなくては。
- 2023年2月10日
- 鑓田研一はやろうと思うけど、延島英一まで手が回るかどうか。サンジカリスト対純正アナキスト対農民自治主義の三つ巴の争いとか描いたら絶対面白いとは思う……30年前後だけでこんなに色々ネタがあるんだから、ほんと人生なんていくらあっても足りんわ
- まぁしばらくやる暇なさそうだけど、この三つ巴が全体的に「東洋」へ流れ込むのは、クロポトキンが八太一派の専売になって他の「自治」主義の連中が相互扶助の根拠となる道徳論を他へ探しに行かざるを得なかったことがあった。そうならなかったのはキリスト教の鑓田だけ(とはいえ彼も仏教やったが)。
- 老子に向かった加藤一夫、東洋史に向かった石川三四郎、神道に向かった高群逸枝、報徳思想に向かった津田光造、この人達の思想の明らかな共通性を、日本ファシズムみたいな括りとは別のアプローチで解きほぐすのが課題なんだが、それをやると「でも結局」とやられてしまうので、すごく研究しにくい。
- ボルシェビズム以外は何でもかんでも、そこには全体主義への隘路がとか危険がとか指摘すれば良いというもんではないと思うんだがな
- 道徳論を掘り下げなかったという意味での批判は良いと思うが(なぜロックやスミス的な論が当時の日本で出てこなかったのかというような)、道徳論自体が危ういという態度は、学問的にはフェアではない。道徳は現実にあるし、その規律と個のあり方とは単に対立するというものではない。
- 2023年1月23日
- 今日DR発動だったけどこれベースラインは昨年同時期なのか?通年平均なのか?ベースラインが低すぎて蓄電池かコジェネでもないと絶対クリアできないぞ……そして蓄電池かコジェネ使うならADRにしてほしみ まぁPPSによってはそういう実証やってるところもあるんだろうな
- ニチコンのパワコンと電気自動車(カーシェアでも可)でV2H、そこに屋根PPAの組み合わせで、予測で分散制御するADRのシステム組めれば変わるんだが、まぁまだまだ無理だろうな。10年前から同じことを夢想して、おそらく10年後も同じことを夢想している 現実とは厳しいものよ…
- まぁ実際のところ、仮想的にでも複雑な制御かけるくらいなら、そのうち蓄電池の値段がめちゃくちゃ下がって、普通にZEHにして系統から切り離せばええやん、という時代の方が早く来そう
- 2023年1月17日
- 「ウソ電」ならぬ「ウソ本」をよく想像する。今読みたいのは『桑木厳翼 カンティアンの作った近代日本』(ミネルヴァ日本評伝選)ミネルヴァ書房、2025年と、『運命に抗うーー今中次麿の宗教的社会主義』白水社、2030年。すごい研究者とすごい編集者のみなさま、どうぞよろしくお願いします🥺
- 2022年11月2日
- エスペラント語を中心としたアジアのアナキスト運動のピークは山鹿泰治が上海で教えていた1927年頃で、それが同年の汎太平洋労働組合会議あたりから中国のアナ・ボル対立を背景に崩壊していき、日本の女性たちがアジアとの連帯を模索しようとし始めた1930年代には英語がそれに取って代わっていた
- 20年代の「東洋」主義的日本主義と汎東アジア的アナキズムの志向はかなり近いのだがこれは切り分けなければいけない。大川周明と石川三四郎、あるいは津田光造と犬田卯。30年代の女性アナキストの中国論、渡満は、思想は20年代のアナを引き継ぎ、実態は30年代の侵略主義だった。その微妙なライン。
- ここに、満州へ行ってしまった望月百合子と、行かなかった石川三四郎、という線引きがある。もし出口があるとすれば、永島暢子と八木秋子が関わっていた新京の「グループ」が中国共産党と関係を持っていたかどうか、という点。中国の抗日戦争研究がもう少し進展すれば、というところなのだが。
- 今朝、某文献センターの関係でアチャルヤのことを書いたのだが、以上はそこに書き切れなかった雑想メモである。
- 2022年10月21日
- 梁漱溟もフォルケホイスコーレの影響をうけてるのか。グルントヴィは東アジアの農本的ナショナリズムの礎といっても強ち過言ではないかもしれない笑
- 2022年6月27日
- 人とは憐憫で繋がるより歓喜で同感する方がいいよねって無前提に言っちゃうアダム・スミスさんが今の日本の世の中に再来したらボコボコにされんのかな。されるんだろうな。というかスコットランド啓蒙の思想家はみんなボコボコにされそう。
- アウグスティヌスが人間の弱さみたいなものを肯定しつつオリゲネスの万人救済説を否定したのも、神に裁かれるという最後のラインがあるから自分の中に神を弛まず求めなければいけないというわけで、それはある意味ストア派よりストイックなんだな。日本ではやはりオリゲネスというか衆生済度だよな…
- 2022年5月31日
- 矢島祐利『アラビア科学史序説』の序文に、「ある人が『資治通鑑』も読まずして何が歴史ぞやと言った云々」とあり、『資治通鑑』ってそもそも日本語になってたっけ?と思ってググったら、wikiでみんなで訳して完訳を目指そうというサイトを発見。誰かやってくれ〜(他力本願)
- 2022年4月26日
- 鑓田研一はエウセビオス『教会史』日本初全訳を成し遂げた人ですが、実はフラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代史』の日本初訳も手がけていて、原稿が日本近代文学館に入っています。しかし時代的に出版まで漕ぎ着けなかった。こういうものは世の中にたくさんあると思いますが、ああなんと勿体無い。
- 『世界哲学史2』読んでたら『ケルソス駁論』が『ケルソス論駁』になってた。最近は『ケルソス論駁』というのだろうか? 語義的にも先行文献的にも、『ケルソス駁論』が正しい気がするが。「論駁」とするなら『ケルソス論駁書』あるいは『ケルソスへの論駁』として欲しい。日本語の収まりが悪い。
- 2022年2月25日
- 1930年代の日本を見ているようだ。国連安保理より、ロシア国内の反対運動の盛り上がりに期待が持てる。VKを見ていると立場は半々だが……アメリカのアフガンやイラクへの侵攻がいかに間違っていたか、逆の立場になって思い知らされる。
- 2022年1月19日
- 横にスワイプするのでも、マルチディスプレイにするのでもなく、ペラペラの画面が何枚か綴じられたブック型のディスプレイが欲しいんだよな。普段はそれそのページに違うアプリや画面を表示、めくって移動。必要な時はバラして並べられるとなおよし。
- 食洗機はシンクの上に4本足で立って食器棚の上に張り付くようなのがほしい。タンク式にしてタンクは一体ではなくシンクの中に置き蛇口から吸水、ホースで本体と接続し吸い上げ。
- 自動掃除機は小さくていかん。棚の下など入らんでいいからでかい伏せた丼のような形にしてタイヤを大型化、ブラシの前には歯抜けの櫛のような排障器をつけてコードやおもちゃを巻き込まないようにしてくれればうちでも使えるようになる。
- 2021年10月28日
- 講義で1コマかけて鑓田研一の話をしたが、やはりこの人物について誰かに研究してもらわなければなりません。僕も伝記ぐらいはかけるだろうけど、百島操(この人も研究ないね)や賀川豊彦との絡みと、トルストイ主義、戦争協力、色々難しい論点があります。日本近代文学館に蔵書全部入ってます。
- 2021年3月20日
- 育児から男性が排除されてる話はいくらでもできるけど、極め付けは保育園に通ってからうちの子が僕(父)と相方(母)のことを、どちらも「ママ」と呼ぶようになったことだな。園で、家事育児をするのは「ママ」だと学び、父も母も「ママ」であると理解したのだろう(笑)僕が保育園にお迎えに行くと、子供が「ママー」と言って走り寄ってくるもんだから、むしろこちらのアイデンティティが崩壊する気分だった。育休を取れて、子育てだけで社会的に認められて、様々なサポートを受けられる「ママ」になりたいと、育児フルコミットの多くの男性が思っていることだろう……
- 2020年9月8日
- 柳田國男「女性史学」『木綿以前の事』:「例に引くのも胸の痛くなる話だが、この四五年来急に目に立つて増して来た親子心中、母が此世をはかなんで見棄てゝ行く場合に、まだ東西も知らぬ幼児を連れて行く風習、是などは正面から其悲惨事を防止しようといふ前に、是非とも先ず何故に日本にばかり、特に斯様な死に方が多いのだらうかを、たとへ不可能なまでも一応は尋ねて見なければならぬ。〔……〕それ等の心理現象の底に横はる消極的な思ひ切り、又は女の勇気といふべきものが、従順無抵抗を本位とした江戸期以来の道徳の制約を受けて、たつた一つの「生命」より以外に、その自由処分に委ねられたものが残らなかつたといふことが、もしや斯ういふ情けない進路を指示したのではないか。」
- 柳田國男「巫女考」は一冊の本として出版されなかったことが惜しまれる。「タヽキミコ」「口寄」:「その寄る者は主として所謂生霊か死霊、即生きてをる人又は死んだ人間ばかりで、神が此物に降ることは極めて稀なやうである」「どう云ふ秘伝があるのかは知らぬが、あまり平仄の合はぬことは言はない」
- 2020年9月7日
- 『橘窓自語』を読んでいたら、巻五に麻疹(はしか)の記事あり。曰く「この享和癸亥の麻疹流行は、むかしより毒いみなどもおほくなりて」「かさねての流行の年おぼへおきて、はじめより心得あるべき」「往古麻疹とは、火班瘡とかき、あかもがさと栄花物語にしるせり」云々。
- 『橘窓自語』巻九。「今時のやはらなかる作菓子のやうかんは、靈元帝の、虎屋、二口屋の墨型羊羹のかたく味のよからざるをきらひ給ひしより、亀屋陸通の家にて、はじめてやはらかに製したるを聞食し、のちこゝかしこにも、水やうかんとて、製することゝなりたりと」。二口屋はのち虎屋傘下に。老舗として名高い亀屋陸奥の羊羹は食べたことがない。虎屋は天皇にくっついて東京に来たが、京都の店もまだあるのか。羊羹は京都がよい、東京で食べるならみつまめやあんみつ、どら焼きだろう、いずれの20世紀に東京で味と形状を確立した菓子。
- 2015年12月13日
- 人工知能が現在のdeep learningの域を超え、オントロジーまで把握し、制限された情報から自分が持つ概念を元に自分なりの仮説を立てて選択を行う、人間の知能に近いものになれば、政治経済学は飛躍的に進歩する。この分野にsimulation、仮初ながらも実証をもたらすからだ
- 2015年9月21日
- Empathy と Sympathy の違いを考えると、スミスのSympathy を共感ではなく同感と訳すのは非常に正しいようにも思う。共感と訳すのは、ルソーのpityと差別化するにはいいかもしれないが、ややミスリードな気もする。。。empathyではないのだ