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目次 Contents
- 基礎情報 About
- 最新のつぶやき Tweets
- 書いたもの What I wrote
- 喋ったもの What I spoke
基礎情報 About
- 僕の概要
- 現在は近代日本の歴史、思想、社会運動などを研究している人です。経済学部の社会思想史という分野で教育を受けました。昔は再エネの会社で働いたりしていました。
- ウェブサイトの概要
- 僕がどんなことに関心をもって何を書いてきたのかを一覧で示すためのサイトです。
- 連絡先
- メール: tatsuya.kageki(アットマーク)gmail.com
SNSなどを閉じてしまっているので、問い合わせは気軽にメール頂けると助かります。
2025年からX(Twitter)を始めました。IDはka_ge_kiです。書いたもの、出るイベントの告知用です。
最新のつぶやき Tweets
- 2025年12月10日
- 大正期の文芸運動を理解するには、演劇というものの重要性が理解されなければなるまいが、あいにく僕自身は演劇というものにはてんで縁がない。ああいうのは若いうちに強い影響を受けるべきものだと思う、歳を取ってからみたらいかんというのではないが、臨場感からくる興奮というものは、若いうちのほうが大きいのではないかと思うからだ。学生の頃は、周りに演劇をやっているという人もいて、創造工房というサークルの演劇をはじめいくつか観たこともある。いまは歯医者をやっている友達が高校生の頃に演劇をやっていて、それを観たことはないのだが、カラオケで歌うのがとても上手く、これなども演劇の影響が多少なりともあるのだと思う。演劇に関わっている人というのは、なにか人間——ペルソナ——として卓越したところがあるような印象をもつ。歌劇は演劇のうちに入るのかどうかわからないが、歌劇も多少観たことがある。そのなかでも二つばかり印象に残っている劇がある。一つは、「どろぼうかささぎ」の日本初演、上野の文化会館でやっていて、当時親しくさせてもらっていたべらぼうに美人な友人と行ったのだった。大学1年生の頃だから、2008年だったと思う。劇の内容というよりも、オープニングが印象に残っている。まるで西洋の印象派絵画のような色鮮やかなセットで、蝋人形のようにあつらえられた演者が舞台装置に乗っているところからスタートしたので、その美しさに度肝を抜かれたのであった。もう一つは、ウィーンのフォルクスオパーで、学生価格でトスカを観た時だ。これは留年生(留学生ではない)で暇だった2010年の秋で、クールな年上美女と観に行ったのである。学生価格というのは当日開演1時間前だったか30分前だったかに売られ始めるもので、びっくりするような安さだった、たしか1ユーロ100円ぐらいの時代で、12ユーロだったか。これは印象としては真逆で、なんか終始工事現場の足場のようなセットで、色調もモノトーンで、あの激しいオペラをやるという、そういう武骨さに斬新な印象を受けたのだった。日本語字幕などないしオペラに詳しくもないから内容もよくわからず、なおさら舞台上の演出に関心がいったということもあったかも知れない。演劇にてんで縁がないとはいうものの、まあ思い返してみれば、昔は案外、演劇や歌劇を観に行ったりもしていたのだ。日常生活で何かを演じるというのは辛いものだとしばしば言われる——安部公房の「S・カルマ氏の犯罪」のように、ペルソナが自分を乗っ取るから。とはいえ、確か西村京太郎に「変身」という推理小説があったと思うのだが、他者になりたい、違う自分を演じてみたいという欲求もまた、しばしば人の中に渦巻いているのだろう。僕は不勉強のため行ったことがないが、ハプニングバーやSMバーではそうした新しいペルソナの舞台が夜な夜な繰り広げられているという。だが思うに、なるのが一番難しいのは自分になることであり、僕は人が自分になるということを実現できるようにしたいと思っている。ただそれも〝ペルソナとしての個〟の謂であるからには、自分になることは第三の者(神、法、家長など)から、他のいかなるものでもないような仮面を与えられることであり、その媒介を行う者こそキリストや裁判官や家父長などであり、そう考えると自分となることはすでに服従sujetだということになってしまう。
- ところで、ペルソナは脚本に服従して演じているが、しかし舞台にあってそれ(ペルソナの役割)を逸脱、凌駕している、それが大正期の自由劇場をやっていた小山内薫などが見出してきたことで、だとすれば、本来分離不可能なペルソナそのものであったはずのペルソナから、「仮面をつけた演者」というものが抜けだして、演者はすでに演者自身、本質的ななにか別物になっている。さもなくば、誰が演じても同じということになり、演者が誰であるかに意識が向くことはあるまい(演者という言葉を使うと混乱があるかも知れないが、仮面をつけた主体をそこに新たに見出すということだ)。ということは、もう一つの次元がある。つまり、名刺・マネキンの自分(一般的な仮面)、その最も細分化されたものとしての罪を引き受ける自分(個即類としての固有の仮面、近代的個人)だけでなく、いかなる仮面からも逸脱した自分という次元がある。しかしこれは「個」ではない。というのも、最後のものはいわば仮面を付けていない演者ということになるが、仮面を外せば(何かを演じるのでなければ)演者というものも存在しなくなるはずだからだ。だからその次元での自分は誰にも知られないし、自分自身にも知られていない。そしておそらく、実在する人は、そのようなもの——知られていないがあるもの——としてあるのだろう。アリストテレスならデュナミスと名づけるだろうが、ここではそれこそを実在と捉えようというのだ。我々が日々生きている、裏切り、期待はずれ、不信に満ちたこの社会は、演じそこねられた仮面たちの舞台だ。それゆえにこそ愛おしさがあり、希望がある。その意味で、大正期の思想は、「自己」や「個人」という言葉を使いながらも、さらにその先を求めていたように思える(——それを「生命主義」と呼ぶことは、大きな「流れ」(ベルクソン)に還元しているような気がして憚られるが)。
- 2025年8月29日
- 『図書新聞』3701号(8月30日)を読んでいたら、佐藤望という名前に目が留まった。これはあの佐藤望なのだろうか。調べてみると確かに、慶應で音楽を教えていたあの佐藤望で、いまは国際基督教大学に移っているようだ。佐藤さんの授業は、僕は学部生のころに最初の3回ほど出てバックレてしまった。なので、佐藤さんとは直接の面識はないといっていいが、僕が所属していた音楽サークルではサークルの基礎科目として受講している人が多く、佐藤さんは学生の間で「のぞみちゃん」と呼ばれ、石井明とともにバロック両王として崇められていた。いま桐朋学園にいる佐藤康太センパイ(老師と呼ばれ親しまれていた)による講釈もあいまって、バロック期の音楽理論が素人にもなんとなくわかるような気がしたものだ。佐藤さんが評しているのはピーター・ウィリアムズ『J. S. バッハのオルガン音楽 全曲解説』という本である。その中で、ウィリアムズのバッハ批評についてこんな記述がある。「数象徴的な理解は、実証的バッハ研究では批判の対象となった。しかし、ウィリアムズは、〔……〕数象徴理論を(控えめにではあるが)受け入れている」。これを読んで、僕は先週の通信の社会科学概論の授業を思い出した。三位一体説、アウグスティヌス、ルター、プロテスタンティズム……と説明してくると、どうしても言及したくなるのがバッハのブランデンブルク協奏曲第三番である。この曲は第三番で楽章も3章からなり、編成が通奏低音を除いてヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの3楽器、そしてそれぞれの楽器に3パート(声部)ずつ割り当てられている。まさに3づくしの楽曲である。なぜ"3"なのか。それは、バッハが三位一体説をとことん楽曲上に投影しようとしたからだ——という話を、僕はその音楽サークルで聞いたはずなのだ。これぞまさに、「数象徴理論」なのではないだろうか? それで授業でもひとことこの曲に触れずにはいられないのだが、しかしググってみるとそんな話はどこにも出ていない。本当のところは、僕はバッハ研究者ではないのでよくわからないが、"3"という数字がその楽曲の中で意味を持たないと考えるほうが難しい。三位一体、三政体、三権分立、三段階……三とは不思議な数である。そんなことを考えていたら、急に「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」が脳内に流れ始め、すべての思考が停止した。
- 2025年7月29日
- ここのところ特につぶやきが多いが、なぜここでつぶやいているのか。それは、僕の自己顕示欲、虚栄心、承認欲求を満たしたいからだ。頭がよさそうなことを言ってみんなにちやほやされたい! 本来ならそういうものはSNSでやるのがよい。しかし持ち前の臆病さにより、SNSでやるような勇気はない。だいたいSNSでちやほやされようと思ってなにかつぶやくと、かえってクソミソにぶっ叩かれて再起不能になるのが見えている。だからこういう誰も見てないところで、人に見せるようなものではないものを陳列して自己満足しているのだ。しかしなぜ欲求が満たされないのか。これは不思議である。僕が生きてきた中では、いまかなりましな社会的立場に僕はある。なんといっても定職があり、きまった月収があるのだ! ああ、なんと有り難い事だろう。労働者として雇用してくれる資本家に心から感謝を! ペッ。そうしていろいろ考えてみるに、満たされていないのは案外、平凡な欲求なのではないかと思い至った。三食決まった時間に満足な量のごはんを食べる。これがまずできない。朝は子供に食べさせている間に出勤の時間になり、自分は食べられない。夜は子供の残飯の量で自分の食べる量も決まる。睡眠も、毎日十分に取れているとは言い難い。子供が寝てから最低限の仕事や社交に取り組み、起床できなくなるギリギリのタイミングで布団へ飛び込み、必死に寝ている内に朝が来る。生理的欲求、特に性欲や恋愛の欲求も、毎週どころか年に数回満たす機会があればいい方で、基本は精神の安定のために毎晩せっせとトイレにあらゆるものを排泄するだけだ。なぜそのような基本的な欲求を満たすことができないのか、これが不思議である。時間を気にせず三食食べることができ、時間を気にせず眠ることができ、時間を気にせず他者との親密な交流を楽しむ、そういう日が、週に一度、いや月に一度、せめて一年に一日ぐらい欲しい。切実にそう思っている人は、僕だけではないだろう。しかし手に入らないのだ。どうしたらそんな日を実現できるのか、皆目見当もつかない。居酒屋や性風俗——最近は女性向けも活況だという——に行って瞬間的に欲求を解消するという方法もあるのかもしれないが、それは根本的な解決ではない。日々の暮らしの中で欲求を満たすことはできないものか。何かが根本的に間違っている気がするが、何が間違っているのかがわからない。そう思ってアナーキズム研究にも取り組んでいるが、もはや間違っていることの力で世界が回っているとしか考えられない。そしてそれは——ベルクソン的な世界観かもしれないが——その通りなのであって、それでも生きていくことに何か意味を見出すしかないのだろう。宮﨑駿と同じような結論に至るのは、まったく癪なことだが。
- これ以前
- 過去のつぶやき(2025-)
- 過去のつぶやき(2015-2024)
書いたもの What I wrote
論文
- 「府中多磨農民組合の設立と始動期の三多摩農民運動」『明星大学経済学研究紀要』57巻2号、明星大学経済学部経済学科研究室、2025年12月、1-15頁
- 「近代日本農本主義の思想と運動」『現代思想』53巻11号、青土社、2025年9月、162-175頁
- 「昭和農本主義という幻像──加藤一夫と権藤成卿(後)」『思想』1213号、岩波書店、2025年5月、129-144頁
- 「昭和農本主義という幻像──加藤一夫と権藤成卿(前)」『思想』1212号、岩波書店、2025年4月、105-126頁
2024年度
- 「昭和初期における農民・婦人解放運動と「神道」——高群逸枝と農民自治会をめぐって——」『日本史研究』747号、日本史研究会、2024年11月、30-54頁
- 「日蓮主義と「献身」の女性史——小泉菊枝『女性史開顕』」『社会文学』60号、日本社会文学会、2024年9月、181-193頁
- 「鑓田研一のトルストイ主義」『初期社会主義研究』32号、初期社会主義研究会、2024年6月、98-113頁
2023年度
- 「平塚らいてうにおける「自己」概念の形成——1912年の評論を手がかりに——」『近代日本研究』40巻、慶應義塾福沢研究センター、2024年2月、79-112頁
- 「社会運動のなかの報徳思想」松野尾裕、見城悌治、落合功編『報徳思想とその展開――近世から近現代へ――』不二出版、2023年、265-293頁
- 「津田光造と種蒔き社」『初期社会主義研究』31号、初期社会主義研究会、2023年5月、54-69頁
2022年度
- "An anarchist woman’s ideological conversion: How Mochizuki Yuriko became a nationalist in Manchuria", in Women in Asia under the Japanese Empire, Tatsuya Kageki and Jiajia Yang eds., London: Routledge, March 2023, pp. 134-148.
- Tatsuya Kageki and Yang Jiajia, “Introduction”, in Women in Asia under the Japanese Empire, Tatsuya Kageki and Jiajia Yang eds., London: Routledge, March 2023, pp. 1-7.
2021年度
- 「高群逸枝の民衆哲学——「生命」批判と「物質」の肯定——」『国語と国文学』通巻1178号(第99巻第1号)、東京大学国語国文学会、2022年1月、51-64頁
- 「安部公房の描いた満洲と戦後日本女性——二つの「壁」における「無意味さ」の意味——」『跨境 日本語文学研究』13号、高麗大学日本研究センター、2021年12月、123-137頁
2020年度
- 「「神」と対峙する「天皇」のイロニー——十五年戦争下の高群逸枝『母系制の研究』を軸に——」『思想』1158号、岩波書店、2020年10月、90-110頁
- 「「農民自治」思想の構想と展開——昭和初期の雑誌『農民自治』『農民』を中心に」『村落社会研究ジャーナル』26巻2号(通号52号)、日本村落研究学会、2020年4月、13-25頁
2019年度
- 「帝国期日本の法学者の婚姻史研究と東アジア——「招婿婚」概念の成立と展開を手掛かりに——」『比較家族史研究』34巻、比較家族史学会、2020年3月、50-79頁
- 「「分裂せざる」二者から始まるアナーキズム——高群逸枝「家庭否定論」再考」『社会文学』51号、日本社会文学会、2020年3月、155-167頁
- 「1880年代における「女性」概念をめぐって——福沢諭吉の「日本婦人論」を題材に——」『近代日本研究』36巻、慶應義塾福沢研究センター、2020年2月、283-309頁
- 「高群逸枝における「母性」概念の成立と展開——差別否定から「ともに生きる愛」へ——」『社会思想史研究』43号、社会思想史学会、2019年9月、125-141頁
- 「1920年代日本におけるアナーキズム思想史の再検討 —クロポトキンの受容と解釈を中心として—」『総合人間学研究』13号、総合人間学会、2019年6月、17-31頁
2018年度
- 「高群逸枝『母系制の研究』と「血の帰一」の思想 ——十五年戦争下の歴史研究をめぐって——」『総合女性史研究』36号、総合女性史学会、2019年3月、29-49頁
- 「『青鞜』における「女性」概念——上野葉子と岩野清子を中心に——」『近代日本研究』35巻、慶應義塾福沢研究センター、2019年2月、143-164頁
2016年度
- 「農民自治会における「農民自治」概念の創出 ——1920年代日本における未分化な社会思想——」『近代日本研究』第33巻、慶應義塾福沢研究センター、2017年2月、235-258頁
書籍
- 『高群逸枝 「共存の愛」の思想 ——民衆哲学から女性史へ——』慶應義塾大学出版会、2025年
- Tatsuya Kageki and Jiajia Yang eds., Women in Asia under the Japanese Empire, London: Routledge, March 2023.
その他歴史系
- 「史学・経済史学の研究動向」『年報 村落社会研究61 農山漁村地域型インクルージョン——生活問題をめぐる実践から福祉を問い直す』農山漁村文化協会、2025年11月
- 「「農とアナキズム」読書案内」『初期社会主義研究』33号、2025年9月
- 「いま「ケア」と呼ばれているものについて――歴史からの概観」総合人間学会編『総合人間学19 「ケア」の総合人間学——ヒトはなぜ「ケア」をするのか/されるのか』本の泉社、2025年
- 「『戦中・戦後文化論——転換期日本の文化統合』赤澤史朗著 2020年(法律文化社)」『月刊東京』464号、2025年6月
- 「〈解説〉21世紀に「農とアナキズム」を読み直す——三原容子論集に寄せて」三原容子『農とアナキズム 三原容子論集』アナキズム文献センター・虹霓社、2024年
- 「アナーキズムの実はどこから来たのか、どこへ行くのか 田中ひかる編『国境を越える日本アナーキズム——19世紀末から20世紀半ばまで』(水声社、2024年)」『図書新聞』3653号、2024年8月31日
- 「書評 玉真之介著『新潟県木崎村小作争議 百年目の真実』」『村落社会研究ジャーナル』30巻2号、日本村落研究学会、2024年4月
- 「婦人戦線」『日本近代文学大事典』増補改訂デジタル版(第3期公開)、2024年2月11日
- 「企画委員この一冊 『トルストイの新研究——その無政府重農主義について』鑓田 研一著(啓明会本部、1927年)」『アナキズム文献センター通信』67号、2023年12月
- 「「共存」はいかにして可能か? 女性史家 高群逸枝の問いを繙く」『月刊東京』444号、2023年6月
- 「書評 木村政樹著『革命的知識人の群像 近代日本の文芸批評と社会主義』 知識人は社会運動の主体たり得るか? という問いの歴史」『初期社会主義研究』31号、2023年5月
- Son Ji-youn, “The West, Asia, and Women in Rha Hye-seok’s Travels”, trans. Tatsuya Kageki, in Women in Asia under the Japanese Empire, Tatsuya Kageki, Jiajia Yang eds., London: Routledge, March 2023.
- 「企画委員この一冊 『M. P. T. ACHARYA Reminiscences of an Indian Revolutionary』 B. D. Yadav著 (1991年・ New Delhi: Anmol Publications)」『アナキズム文献センター通信』62号、2022年12月
- 「書評 藤原辰史著 『農の原理の史的研究 「農学栄えて農業亡ぶ」再考』」『村落社会研究ジャーナル』28巻1号(通号57号)、日本村落研究学会、2022年10月
- 「新刊紹介 奥村直史『平塚らいてう その思想と孫から見た素顔』」『総合女性史研究』39号、2022年3月
- 「乗り越えられるべき歴史、あるいは残された「遺書」——近現代女性史研究における高群女性史の位置付けとその意義——」芹沢俊介・服藤早苗・山下悦子編『高群逸枝 1894-1964――女性史の開拓者のコスモロジー 別冊『環』26』、藤原書店、2022年2月
- 「高群逸枝『女性解放論集――婦人戦線に立つ』」・「犬田卯『日本農民文学史』」田中ひかる編『アナキズムを読む 〈自由〉を生きるためのブックガイド』皓星社、2021年10月
- 「幻に終わった大杉あやめの『婦人戦線』」『アナキズム文献センター通信』57号、2021年6月
- 「新刊紹介 石月静恵・大阪女性史研究会編『女性ネットワークの誕生 全関西婦人連合会の成立と活動』」『総合女性史研究』38号、2021年3月
- 「高群逸枝と『麺麭の略取』」『アナキズム文献センター通信』45号、2018年12月
生活雑記
- 「高群逸枝との出会い」『現代女性文化研究所ニュース』72号、2026年1月
- 「つながりとまつり」『現代女性文化研究所ニュース』71号、2025年9月
- 「二人から始める」『現代女性文化研究所ニュース』70号、2025年5月
- 「報復から対話へ」『現代女性文化研究所ニュース』69号、2025年1月
- 「眠れる森から呼ばわる歌」『現代女性文化研究所ニュース』68号、2024年9月
- 「平和の歌」『現代女性文化研究所ニュース』67号、2024年5月
- 「つみきのようなもの」『現代女性文化研究所ニュース』66号、2024年1月
- 「クオ・ワヂス?」『現代女性文化研究所ニュース』65号、2023年9月
- 「禍転じて」『現代女性文化研究所ニュース』64号、2023年5月
- 「懺悔道としての子育て」『現代女性文化研究所ニュース』63号、2023年1月
- 「「かわいい」の弁証法」『現代女性文化研究所ニュース』62号、2022年9月
- 「素直になれなくて」『現代女性文化研究所ニュース』61号、2022年5月
- 「静かな社会」『現代女性文化研究所ニュース』59号、2021年9月
- 「可愛い女の子になりたかった」『現代女性文化研究所ニュース』58号、2021年5月
- 「理想の親」『現代女性文化研究所ニュース』57号、2021年1月
- 「自分の意志と出産」『現代女性文化研究所ニュース』56号、2020年9月
- 「我々はどこから来たのか」『現代女性文化研究所ニュース』55号、2020年5月
- 「幼児的不服従」『現代女性文化研究所ニュース』54号、2020年1月
- 「大きな都市と小さな反逆者」『現代女性文化研究所ニュース』52号、2019年5月
- 「「平成家族」の自炊生活」『現代女性文化研究所ニュース』51号、2019年1月
- 「21世紀のシャドウ・ワーク」『現代女性文化研究所ニュース』50号、2018年9月
- 「台所からの政治運動」『現代女性文化研究所ニュース』47号、2017年9月
喋ったもの What I spoke
講義
- 明星大学「経済史入門」「ライティング基礎」「専門演習」(2025年4月〜)
- 慶應義塾大学「社会科学概論」(2024年8月〜)
- 明星大学「日本経済史」(2024年4月〜)
- 立教大学「専門基礎」(2024年4月〜2025年3月)
- 和光大学「日本史概説」「日本経済史」(2023年4月〜2024年3月)
- 日本国際学園大学(旧・筑波学院大学)「地域研究(ヨーロッパの歴史と文化)」(2023年4月〜2025年3月)
- 横浜国立大学「社会科学の歴史」「社会科学の方法」(2022年4月〜)
- 立教大学「日本史概論」「史学講義」(2021年4月〜2025年3月)
- 下田看護専門学校「文学」(2021年4月〜2025年3月)
- 慶應義塾大学「自由研究セミナー」(2020年4月〜2023年3月)
- 桜美林大学「世界史の中の日本」(2019年6月〜9月)
口頭発表
- 「昭和初期における理想化された農村共同体の思想——無政府主義・農本主義・一国社会主義」2025年度経済学史学会関東部会第2回研究会、立正大学(東京)、2025年12月7日
- 「猪俣津南雄と「日本村落共同体」論——昭和農業恐慌と『農村問題入門』をめぐって——」東アジア日本研究者協議会第9回国際学術大会、翰林大学(韓国・春川)、2025年11月1日
- "Tolstoyan Ideal Applied to the Topography of Japanese Rural Villages: Yarita Ken’ichi’s Anarcho-Physiocracy", AAS-in-Asia 2025, Hotel Manaslu, Kathmandu, Nepal, June 1, 2025
- 「昭和初期における「農本主義」の成立」2024年度日本思想史学会大会、筑波大学(茨城)、2024年11月10日
- "The Non-Partisan League in Japanese Agricultural Movement: Success and Failure of Association for Farmers’ Self-government", 7th Asian Rural Sociological Association (ARSA) International Conference, Ryukoku University, Kyoto, Japan, September 7, 2024
- 「男子普通選挙成立と非政党同盟運動の展開―農民自治会埼玉県連合会を中心に―」日本経済思想史学会2024年度第1回例会、明治大学(東京)、2024年7月13日
- 「高群逸枝における「共存」の思想」政治経済学・経済史学会2024年度春季学術大会博士論文報告研究会、東京大学(東京)、2024年6月22日
- 「望月百合子と開拓村」日本社会文学会関東甲信越ブロック12月例会、オンライン、2023年12月17日
- 「占領期検閲と高群逸枝の女性史学」2023年度同時代史学会大会、東京経済大学(東京)、2023年12月9日
- パネル発表「帝国という言説空間の越境・連帯・抵抗——アナーキズムと現代詩、フリージャズ」討論者、東アジア日本研究者協議会第7回国際学術大会、東京外国語大学(東京)、2023年11月5日
- 「鑓田研一の原始キリスト教理解と農民解放論」2023年度政治経済学・経済史学会秋季学術大会、駒澤大学(東京)、2023年10月28日
- パネルセッション「1920-1940年代日本インテリ女性思想の「グローカル化」」ディスカッサント、第11回 東アジアと同時代日本語文学フォーラム、Grand Inna Kuta(インドネシア・バリ)、2023年9月2日
- 「報徳思想から昭和農本主義へ」報徳研究会、オンライン、2023年2月3日
- 「『共存の愛』から読み解く高群逸枝」近現代女性史研究会11月例会、世田谷区立男女共同参画センターらぷらす(東京)、2022年11月26日
- 「津田光造と日本村治派同盟の成立」日本村落研究学会第70回(2022年度)大会、明治大学(東京)、2022年11月19日
- 「津田光造の報徳思想」日本経済思想史学会2022年度第2回例会、慶應義塾大学(東京)およびオンライン、2022年10月8日
- 「犬田卯の農民自治主義」住井すゑ研究会4月研究会、オンライン、2022年4月9日
- “Koizumi Kikue, a Perfect Women’s Fascist: From Manchu Girl to East Asian League Women’s Movement”, Workshop “Gendering Fascism”, organized by Andrea Germer and Jasmin Rückert, Department of Japanese Studies, Heinrich Heine University, Düsseldorf, Online, November 11, 2021
- “Seeking the Ignored Customs of Marriage: On the Research of the History of Marriage in the Empire of Japan”, 16th International Conference of the European Association for Japanese Studies (EAJS), Online, August 26, 2021
- 「高群逸枝における「日本」 —— 1924年「排日問題」から34年「日本精神」に至るまでの展開」(「アジアの中の日本女性 —— 1920-1930年代におけるその生と思想の軌跡」ワークショップ)総合人間学会第15回研究大会、オンライン、2021年6月20日
- 「近現代女性史研究における「ジェンダー分析」の意義—総合女性史学会の歩みに照らして—」総合女性史学会2020年度大会、オンライン、2021年3月21日
- 「日本女性史からみた「売淫外交」の起源と展開 —— 高群逸枝『女性の歴史』を中心に」ジェンダー史学会2020年度シンポジウム「開国の前線に立つ女性たち——近代の性売買におけるインターナショナリティ——」、お茶の水女子大学(東京)およびオンライン、2020年10月24日
- “The Ideal and the Real Manchuria: Japanese Anarchist Women in Hsinking (Changchun) at the End of the 1930s”, in the session I organized “Rethinking Women in Asia Under the Aggression of the Japanese Empire, 1931-1945”, AAS-in-Asia 2020, Online, August 31, 2020.
- "The Anarchist Society of 'Maternal Culture': The First Idea of Japanese Woman's Anarchist Society by Itsue Takamure", Annual Conference of Association for Asian Studies (AAS), Boston, US, March 20, 2020 (Conference cancelled)
- 「平塚らいてうにおける「個人」と「性」——母性保護論争をめぐって——」ジェンダー史学会第16回年次大会、専修大学(東京)、2019年12月8日
- 「十五年戦争と高群逸枝の「日本神道」 — その歴史観と侵略戦争の論理」社会思想史学会第44回大会、甲南大学(兵庫)、2019年10月26日
- 「高群逸枝のクロポトキニズム –– 生産・進化の否定と自由な「生活」の追求 ––」総合人間学会第13回研究大会、明治大学(東京)、2018年6月17日
- 「高群逸枝における「母性」概念——恋愛進化論と女性史研究による輸入概念の土着化の試み」近現代女性史研究会、立教大学(東京)、2018年5月19日
- 「高群逸枝における「自治」概念の成立」社会思想史学会第40回大会、関西学院大学(兵庫)、2015年11月7日
その他